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降誕

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この季節が一番好きな倉野です。 いやあ、クリスマスがもうすぐですね! いくつになっても、クリスマスが近づいてくるとわくわくしてしまいます(普段はブログのURLにあるように、666とか悪魔主義全開のことを言っていますが、いいんです! 自分的には矛盾はありません)。 「基督教の風習に日本人は関係ないだろ」「商業主義」など、クリスマスを必ず批判する論調がありますが、嘔吐を催すほど無粋ですね~。 一年に一回、みんながあたたかい気持ちになって、プレゼントを交換し、好きな人(家族でも、恋人でも)と一緒に過ごす、って日があったほうが生活が楽しくなるのは間違いないでしょ、そこのあなた!! それに、探偵小説でいくと、シャーロック・ホームズに『青い紅玉』という作品がありますね。 宝石盗難という犯罪が一応起こるのですが、誰も不幸にならずみんなハッピーで終わる素敵なクリスマス・ストーリーです。 名優ジェレミー・ブレットが演じた英国グラナダテレビ版ホームズでは、ラストで「クリスマスは愛と寛容の季節だ。その精神を大切にしよう」とホームズが言い、クリスマス精神をより強調したものになっています。 愛と寛容の季節、なんといい言葉! ギスギスした世知辛い世の中ですが、ホームズの語るこのクリスマス精神を我々も分かち合いたいですね。 そういうわけで、クリスマス大好きな私ですが、上京以来何故か独りでクリスマスディナーを自宅で食べることが多いんです……。 どういうわけでしょうね? でも、独りで過ごす静かなクリスマスというのも、これがまた趣があっていいんですね~。 自分へのクリスマスプレゼントはしっかり買ってるし……え? 寂しくなんかないよっ!! Merry Christmas to You !!

絵画

絵画については何もわからない倉野です。 表紙の装丁などを決める時も、画家の方が描いたラフなデザインを見て、「ほー」「へー」などと言うばかりで、有意味なことを言った記憶がありません。 それくらい、絵画には疎いです。 しかし、自分の育った記憶を辿ると、その理由もわかる気がします。 私は幼い頃から、絵を描くのが好きな子供でした。 私の幼い頃のアルバムには、私が描いた種々雑多な絵が挟まれています。 今になってそれを見ても、思わず頬が綻ぶ感じの、稚拙ですが無邪気な絵が並んでいます。 そう、私は絵を描くのが好きだったのです。 では、何故絵画に一向興味がない大人になったのか。 それは、私が小学校一年の時に遡ります。 小学校に入学した私は、絵が好きなものですから、きっと得意になって絵を描いていたと思われますが、担任のF先生がそれを見て「絵に描かれた人物が、ロボットみたいで気持ち悪い」と言ったのです。 その時幼かった私でも、今になってもはっきり思い出されるほど、その言葉は衝撃的でした。 「ロボットみたいで気持ち悪い」……。 自分の絵、ひいては自分の人格が全否定されたと思った私は、それ以来絵を描くのが大嫌いになりました。 幼い私でさえ、そうはっきりと認識できたのです。 小学六年になった時の担任が理解のある人で、「おまえが絵がうまい。だからどんどん描け」と言ってくれて、私の風景画をコンクールに送ってくれたりして、その時だけはやる気は起きましたが、「気持ち悪い」と言われた傷を埋めることはできず、今に至ります。 私が絵を描くのが嫌いです。 私は教育者に言いたい。 子供の個性、可能性を伸ばすのが教育者だぞ、と。 芽を摘むのなんて、誰にでもできる。 他人が摘みそうになった弱い芽でさえも、これは確かだと思ったら、それを守って伸ばしてやるのが教育者ではないか、と。 「ロボットみたいで気持ち悪い」なんて、一個人の主観的な印象でしかありません。 それを乗り越えて、「変な絵だけど、こいつが好きなのだから、どんどん描かせるべきだ」と何故F先生はならなかったのでしょう? 私は、ここに日本の教育の問題点が現れているようでなりません。 その子供が好きなことを伸ばす――私みたいに、好きな分野を嫌いになる子供がこれ以上現れないことを祈ります。

美味

普段からなんでもおいしく食べる倉野です。 好き嫌いは、ほぼありません。 そんなわけで、高級なレストランなどに行って、今まで食べたことのない味に出会っても、やっぱり「おいしい!」と思ってしまいます。 しかし、改めて「おいしいもので何を食べたい?」と問われると、悩んだ末に出てくる料理は「エイの煮付け、サメの湯引き、おばいけ、ナマコの酢の物……」系のものなんです。 「エイやサメ?」と思った方――私の故郷福岡は玄界灘に面しているので、いろいろな魚介類が手に入るんですが、私の小さい頃は新鮮で臭みのないエイやサメが手に入りました。 それでよく食卓に上っていたんです。 子供の頃からそれらを食べ慣れていたわけですが、正直子供の舌には煮付けや湯引きなどはまずくはないですが、そんなに美味とは思われませんでした。 まあ、大人の味ですね。 しかし、この年になってみると、妙にその味が懐かしく、かつとても美味であったように思われるのです。 一方、私の父は、子供の頃に食べた黄色いもったりしたカレーが食べたいと言います。 そして母が似たようなカレーを作っても、「こんな味じゃなかった。もっとおいしかった」と。 父が子供の頃に食べたカレーも、恐らく実際はうまいものではなかったと思います。 しかし、懐かしさを伴う味が凝縮されると、それが究極の美味に昇華・夢想化されるようなんです。 私のエイ、サメ、おばいけなどもそうです。 おいしいかどうかにかかわらず、子供の頃に慣れ親しんだ味が、懐古フィルターを通されて美味になったんでしょう。 美味の根底は懐かしさにあり、ということを再認識したしだいです。 そして私は今日も思うのです。 「ああ、エイの煮付け食べたい……」