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瘋癲

ハーシェル・ゴードン・ルイス監督の『2000人の狂人』をDVDで再見しました。 ……クリスマスイヴを前にして、何をやってんだ、私は。 いや、何故か行きつけのレンタル屋さんで、H.G.ルイス作品をごそっと入荷してたもんで、つい。 物語は観ていない人にも結構知られていると思うので、割愛しますが、正直現在の目から見ると退屈かも。 南部のカラッと乾燥してレイドバックした雰囲気の中、殺戮が起きる(後のトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』に通ずるものがありますね)というのは、物語の異常性を際立たせていてよいんですが、如何せん演出まで弛緩しちゃってるような感じので……。 主人公の女性が逃げる際、途中の川でスカートをたくし上げて腿を洗うところを念入りに撮っているのは、ルイスの「血みどろだけじゃないぜ、男性諸君! ちゃんとお色気もあるでよ!」という商魂たくましさが表れているようで微笑ましかったです。 小学校高学年頃、私が持っていたホラー映画のムック本に「H.G.ルイスはG.A.ロメロと双璧を成すホラーのパイオニア」みたいなことが書いてあった記憶があるんですが、それはロメロに失礼です。 まあ、最近のロメロもたいがいですが。 ここで個人的な告知ですが、GEOの東京某店で『秋刀魚の味』を借りっぱなしにしている君、早く返しなさい! わしが観れんじゃないか!

歳末

すっかり年の瀬になってきましたね。 先日発売された南雲堂さんの『本格ミステリー・ワールド2014』で、「来年に新作が出なかったら、もう物書きはやめちゃる!」と自棄になって宣言した私ですが、来年はどんな年になるんでしょうね~?? 宣言は実行されてしまうのか、それとも回避されるのか?! ちなみに、いくつか見た来年の占いは、良い事は書かれていませんでしたが……。 仕事の話題をこのブログで沢山できるようになればいいんですがね、と思うクリスマス前の倉野でした。 皆様、寒さが厳しくなってきましたので、くれぐれもご自愛くださいませ。

綺堂

遂に買っちゃいました! 作品社の『岡本綺堂探偵小説全集』全二巻! 『半七捕物帳』シリーズや怪奇小説は全部持っているんですが、綺堂が物した探偵小説は今まで読む機会がなかったんです。 で、復刻出版されたと聞き、長らく書店に並んでいるのを指を銜えて見てたんですが、自分へのクリスマスプレゼントに今日遂に! 1冊ななせんえんなり~! いや、でも、いい本にはお金に糸目をつけずに払う性質なので、大満足です。 持ち歩くには、でかくて分厚いので、ゆっくりと寝る前に蒲団の中で読み進めるとします。 中公文庫の『岡本綺堂読物集』第四巻『探偵夜話』も出たので、併せてチェックしないとな。

一文

ちくま文庫版鷗外全集第一巻を読了しました。 文豪の作品というのは、力瘤を作って書いた力作ももちろんいいですが、肩の力を抜いてすっと書き流したような作品に真骨頂が現れるような気がします。 漱石なら長篇の諸作品に対し、『文鳥』とかね。 鷗外なら、全集第一巻に入っている『懇親会』『大発見』『鶏』などの短篇が後者に当たる気が。 『懇親会』は、新聞記者との懇親会に参加して、酔っ払った記者に喧嘩を吹っ掛けられて怪我をした、って話。 『大発見』は、欧米人でも鼻をほじるかという問題を探求しつづけ、やっと大発見する話。 こういった肩の力を抜いた物は、粗筋が一文で書けるというのが具合のよい目安である感じがします。 あ、『金毘羅』を再読して、また、ずうんと重い気持ちになりました。救いはありますが。

漢籍

随分前の項で、父方の祖父が国文学者だったと書きましたが、私自身は漢文・古文ともちっともわかりません。 というのも、高校を一年で中退して、ちゃんとした教育を受けていないから(通った高校一年時も、まったく上の空で授業なんか聞いていなかった……)。 漢文はレ点くらいしかわかりません。 古文は江戸時代くらいの本になると大分読めるようになりますが、それ以前は難しいですね。 しかし、最近になって、漢文や古文の素養がないのを残念に思うようになりました。 鷗外なんかは欧羅巴の学問知識を身につけ、小説にも独・仏・英の横文字がバンバン引用されますが、学生時代には依田学海に師事し、漢籍の手ほどきを受けておるのです。 岡本綺堂も『世界怪談名作集』を翻訳するほど欧米の怪談に精通していますが、自作の怪談には、様々な漢籍から面白い話を換骨奪胎し、名作怪談を幾つも作り上げたのは有名です。 欧米の学問を盛んに吸収するとともに、伝統的な漢文もしっかりわかっている。 これが明治人特有の優れたバランス感覚なんでしょうね。 私も漢文、古文をすらすらと読めるようになりたいなあと思っておるのですが……勉強してももう遅いかな。

走破

前々項でダイエットをしていると書きましたが、そのために再開したジョギングが、すっかり趣味として根づきました。 やる前は「あ~、めんどくせ~、今日もジョギングに行かなきゃいけないのかよ。走りたくねえ~」って状態なんですが、一旦外へ出ると、気持ちよくて仕方がない。 夜に走ってるんですが、ジョギング中から終わって寝るまでは、日々の不安や鬱屈を忘れることができます。 ブログには書けないような不安が日々脳内に渦巻いているわけですが、ジョギング後は走り抜けた風と共に吹き去られたよう(すみません、柄にもなく赤面的かっこいい表現をしてしまいました)。 まあ、週四、五回のジョギングなんて、暇人ゆえの趣味なような気もしますが……。 明日も走るぞ! さあ皆さんもジョギングにレッツラゴー!(古い……)

茶漬

たった今、小津の『お茶漬けの味』を観終わりました。 内容を簡単にまとめると、「お見合い結婚の末に冷え切った夫婦が、仲直りしてお茶漬けを一緒に食う」。 これでは身も蓋もないですね……。 名作である『東京物語』『麥秋』『晩春』あたりと比べると、出来はちょっと落ちますが、小津らしい味わいがあります。 佐分利信のもっさり感がいい。 そして淡島千景はやっぱりかわいい。 そしてクスッとくるところも多いです。 鶴田浩二に連れられて佐分利信が入るパチンコ屋(その店主は笠智衆)の提燈に、「甘辛人生教室」。 いやー、昔パチンコで身を持ち崩しかけた私としては、「そうなんだよなあ」と。 で、鶴田浩二の行きつけのトンカツ屋が「カロリー軒」。 この店名は、小津の他の作品でも出てくるそうですが、小津初心者の私はハマりました。 また、噓をついて女連中で修善寺に行った場面では、 木暮実千代「(夫である佐分利信を評して)鈍感よ。鈍感さん」 淡島「あんたうまいことを言うわね」 ……いや、そんなうまかねえし。 以前は黒澤の全作品を観て、断然クロサワ派だった私ですが、小津の世界にも段々はまってきました。 佐分利信「お茶漬けだよ、お茶漬けの味なんだ。夫婦はこのお茶漬けの味なんだよ」 ……しみるねえ。とりあえずこんな時間だったので、ふたりがお茶漬けをうまそうに食ってるのを観て、腹が減りました。 お茶漬けでも食うかな。 独りで……。

下戸

木枯らしが吹きすさぶ今日この頃、日本酒でも一献、って感じですが、何故かすっかり酒が飲めなくなりました。 以前は全然大丈夫だった杯数で、「え、こんなに酔っちゃった?!」という驚きが。 思い当たる原因――といえば、ダイエットくらいしかありません。 夏に実家で食いまくったせいで、お盆明けには体重が71キロを超えていました。 九月になってから一念発起し、筋トレと週4~5回のジョギングをやって、現在64.5キロを割るところまできたんですが……。 試しにネットで「ダイエット 酒 弱くなる」と検索してみると、個人ブログで同じような感覚を訴えてらっしゃる方が散見できました。 どうしてダイエットをすると酒に弱くなるのか、その機序にまでは触れられていませんが。 今度医者に訊いてみようと思います。 まあ、酒に弱くなって、自然と飲み屋から足が遠のけば、ダイエットもぐんぐん進むわけですが、それにしてもたまにはグイッと飲みたいなあ……。

颶風

今年は台風が沢山来ましたね。 ということで、『台風クラブ』をさっき観ました。 ATG映画は結構好きで観てましたが、これは初見。 で、感想はというと、うーん、不思議な映画でした。 深読みしたい人には材料に事欠かない映画だと思いますが、それをやっちゃ野暮だろうな、と。 そして、漂う独特の雰囲気に「ああ、ATGの映画だね」と深い安心感を得たのでした。 しかし、「ああ、ATGだね」とひと括りにされてしまうこと――それは、ATGという映画界の言わばアウトサイダーであったものが、作風としてのひとつの徒党めいたものへと変貌し、インサイダー化した兆しだった。 そしてそれはATGの終焉を意味していた、と言っても過言ではないかもしれない。 過言かもしれない。 この映画を観てびっくらこいたのは、三浦友和が爽やかじゃない! デビュー時から現在に至るまでの三浦友和といえば、いつまでも爽やか、人畜無害なイメージですが、ここではダメな数学教師を演じていてハマっています。 最初のほうの授業中の台詞、「ちゃんと聞いとれよ、百姓の子供たち」には笑っちゃいました。 ぼくらが小さい時分には、もっと過激なことも教師が言ってたなあ(ここには書けないくらいの)、とちょっと懐かしく思ったり。 女子陣では、大西結花がかわいいですね。 あと、佐藤浩市って最初のクレジットでは名前があるけど、出てたっけ? ATGのキレた工藤夕貴が観たい方は、『逆噴射家族』も合わせてどうぞ。 話はアレですが、エンディングテーマがめっちゃかっこいい映画なので。

鬱々

南雲堂さんから『本格ミステリー・ワールド2014』内の「作家の計画 作家の想い」の原稿を頼まれたので、書いて送りました。 読んでもらえればわかりますが、文頭で断っている通り、糞面白くもない悲観的でローテンションな文章を綴っております。 まあ、新作の出版が決まらない現状を反映した、焦れに焦れたダウナーな文章であると、読者の皆さんに判断していただければいいかなと。 私の糞面白くもないコラムが載ってますので、『本格ミステリー・ワールド2014』、お買い上げお願いしまーす。

不満

不満が鬱積している私です。 というのも、池袋の某書店によく行くのですが、レジに購入者の年齢を店員さんが押すボタンがあるでしょ? あれをいつも凝視しているんですが、そこでいつも「40~」のボタンを押されてしまう。 ……ちょっと待て、と。 わしは39歳だ。 まだ不惑には間があるし、それにこんなだらけた格好の40以上の人はおらんだろ、と。 しかし。いつも「40~」。 あれこれ考えてみたんですが、よく私が「もっとあぶない刑事全事件簿 DVDマガジン」を買っているからなのだろうかと。 店員さんからすれば、「あ~、あぶデカね。この世代って40オーバーよね」みたいな感じで? 前項で「年老いることもいいな」と書いた私ですが、やっぱり実年齢より上に見られるのは厭ですね。 年齢相応に老けていきたい。 これから店員さんが「40~」のボタンを押しそうになったら、勝手に「21~」のボタンを押してやろうかと思っています。

親爺

映画を観たい病が亢進してしまったので、先日ついに重い腰をあげてレンタル屋に会員カードを作りに行った私です。 で、遅ればせながら『エクスペンダブルズ』の1&2を観ました! いや~、ド派手なアクションが爽快爽快。 1よりも2のほうが断然面白いです。 1は敵の用心棒にストーンコールド・スティーブ・オースチンがいるとはいえ、肝心要の悪役がエリック・ロバーツというのはちょっと物足りない(ミッキー・ロークの登場場面はよかったけど)。 しかし2は悪役がジャン=クロード・ヴァン・ダムですからね! しかもシュワとブルース・ウィリスもちゃんと活躍するし、「あの」チャック・ノリスがまた渋くてカッコいいんだ、これが。 チャック・ノリス登場場面で感涙でした。 3の製作情報によると、ブルース・ウィリスは残念ながら降板ですが、ハリソン・フォード、アントニオ・バンデラス、ウェズリー・スナイプスが参戦するし、何と悪役にメル・ギブソンですよ! メル・ギブソンは最近のゴシップ報道ですっかりハリウッドの悪役になってしまった感があるので、はまり役でしょう。 期待大。 こうして観て思ったのが、「年を取るのもいいもんだな」ということ。 顔に皺が深く刻まれた武骨な面構えのオッサンたちが、多少ゆるんだ軀を改めて鍛え上げて、スクリーン所狭しと暴れまわっている。 これがある種の男の哀愁を感じさせて、いいんですね! また、それぞれの往年のアクションスターの私生活やら出演歴やらの人物背景がそこに透けて見えるから、いっそう感慨が深くなります。 いささか単純ですが、私もエクスペンダブルズの面々のように、皺くちゃになっても軀を鍛えて、イカれたBad Assなオッサンを目指したいと思います。

嘔吐

といっても、サルトルではありません。 唐突ですが、私は嘔吐恐怖です(今はだいぶん軽快していますが)。 自分が吐くのも厭だし、人が吐いているのも厭! ノロウイルスの季節なんて、怖い怖い。 で、先週乱歩の『黒蜥蜴』を読んでいて思ったんですが、自分の嘔吐恐怖の原因は、この作品にあったのではないかと。 中盤辺りで、黒蜥蜴が大阪の宝石商の娘を誘拐するために、新品のソファに反吐のようなものをぶちまけておく作戦を取る場面があります。 ポプラ社版の子供向け『黒蜥蜴』にもこの場面が出てきて、子供心に「おえっ」と思いながらも、何度もその場面を読んだことを思い出しました。 そう、自分は嘔吐恐怖ですが、人がもどしたものが駅なんかにあると、ついつい目が惹きつけられてしまうんです。 それは何か根源的な欲動が働いているかのような、異常な注意の向き方なんです。 これは、子供時代に『黒蜥蜴』を読んで、「気持ち悪いな」と思いつつ、貪り読んでしまった経験が根底にあるのではないでしょうか。 厭だけど反吐を見てしまう心理をさらに考えていくと、自分は口唇的な欲動に取り憑かれた人間ではないかと思い至りました。 本当は反吐が咽喉を通る苦しみを伴った快感に酔い痴れたいのだが、それは自我や超自我が許さず、嘔吐という口唇的欲動は抑圧されてしまった。 そして、反動形成として、嘔吐恐怖という症状ができあがったのではないか、と。 しかし、欲動は自我の検閲をすり抜けて、妥協的な形で「厭だが見てしまう」行動として現れたのではないでしょうか。 そういえば、拙著にも嘔吐の場面が必ず出てきます。 口唇的欲動、恐るべし。 そして人間の人格形成にも深い影響をおよぼす乱歩小説、恐るべし。

韻律

岩波文庫の鷗外作『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』を読了しました。 この中で、一番心に残ったのは、ズバリ『寒山拾得』です。 これは文末のリズムがいい。 「である」の連発なのである。 特に最初のほうの「閭が果たして台州の主簿であったとすると日本の府県知事位の官吏である。そうして見ると、唐書の列伝に出ているはずだというのである。しかし閭がいなくては話が成り立たぬから、ともかくもいたことにしておくのである。」というところなんて、生き生きとしたリズムの中にとぼけた味があって、「鷗外やはりただ者ではない」と思わされたのである。 話自体もとぼけた味があっていいのですが、これは鷗外が娘さんに物語った話をそのまま直接小説にしたそうで、その語り口調が「である」の連発に反映したのではないかと思うのである。 『雁』の時にも触れましたが、鷗外の作品に時に出てくる「とぼけ味」にもっと目が向いてはいいのではないか、と私は愚考する次第である。 次は乱歩の『黒蜥蜴』を再読するつもりである。

同志

年中バンドTを着ている倉野ですが、たまに見知らぬ同好の士に話しかけられることがあります。 以下の話は、昔々某掲示板に出入りしていた時に書き込んだことがあるので、過去ログを漁れば出てくるかも。 もう10年ほど前ですが、西武池袋線の練馬駅で、私は電車を待っていました。勿論バンドT、それもBurzumのを着て。 すると、ホームにいた若い外国人の男性の方が私のTシャツを見てニヤリと笑い、近づいてくるではないですか。 咄嗟に思ったのは、「やべ、アンチ・クライスト系のバンドだから、因縁をつけられる!」 しかし、その方は流暢な英語で「いいTシャツだね。僕はそのバンド好きだよ。ところで、武蔵藤沢に友人が住んでいるんだけど、どう行ったらいいの?」と。 ここで私の恐怖は氷解し、すぐに打ち解けて、「所沢まで行くから、途中まで案内してあげるよ」ということになりました。 訊くと、彼はドイツ人だそうで、こっちは拙い英語で一生懸命会話しました。 ちょうどサッカーのワールドカップでドイツが決勝進出していたので、「おめでとう」と言うと、「僕はサッカーには興味ないんだ」と意外な答え。 「他にどんなバンドが好き?」と訊くと、「Mardukが大好き! テクニカルなブラックメタルが好きなんだよね~」とのことでした。 「日本ではブラックメタルは人気があるの?」と問われたので、「最近は結構来日してるよ。Impaled NazareneとかMardukも来たし」と答えると、「すげえ! 日本ではブラックメタルがホットなんだな!」と幾分誤解したので、「いやいや、まだアンダーグラウンドだよ」とたしなめました。 「僕はまだブラックメタル系のライヴに行ったことがない」と嘆息すると、「面白いぞ~。血を飲んで、火を噴くからな!」とガハハと人懐っこそうに笑ってました。 「ダイナモ・オープン・エア(オランダで開催されるメタル系の一大フェス)に行ってみたいな」と言うと、「僕は行ってきたよ」とリストバンドを誇らしげに見せてくれて。 で、「日本に来て君みたいな人に出会うとは思わなかった。是非写真を撮りたい」とのことなので、人差し指と小指を立てるメロイックサインで車内で記念撮影。 すると「君は日本人なのにピースサインしないんだな」と不思議そうに言うので、「悪魔主義者はこうでしょ」と笑うと、「Great

始祖

「推理小説の始祖と言われるポオの全貌に触れてみるか、ひまだからな!(©上野顕太郎氏)」とばかりに、最近東京創元社のポオ小説全集を読み耽っていました。 エドガー・アラン・ポオといえば、前述のように推理小説の始祖、怪奇幻想文学史上において偉大な足跡を残した人物として有名です。 私も代表作だけ昔読んで、そう思っていました。 ところが……3巻まで読破して、「おや、そうでもないぞ」と。 確かに怪奇色の強い作品も多いですが、全作品の結構な割合が、滑稽小説なのですよ。 英文学を専門としている人には「何を今さら」という感じかもしれませんが、素人には新鮮な驚きでした。 『眼鏡』なんて、まあこんな馬鹿馬鹿しい話をあの大文豪が……という印象。 『メルツェルの将棋指し』なんかを読めば、彼には不可解な物への分析癖が異常なほど強くあって、それが後の『モルグ街の殺人』他の推理小説群に繫がったのだ、とわかりますが、彼の頭脳を形作る両輪のもうひとつとして、「笑い」というものがあったのだな、と思い至りました。あくまで素人考えですが。 やっぱり作家の実像を云々するには、傑作集ではなく全集を読まねば駄目ですね。 ポオの熱烈な崇拝者であったラヴクラフトが、これらの滑稽小説をどう考えていたかを知りたくなりました。

結末

九月になっちゃいましたね。 今朝ふと思い出したのですが……私は小学校低学年の頃、友達に自作の怪談を語るのが好きでした。 友達を集めて得意げに語っていたと思うのですが、結末はすべて、怪物や幽霊がバズーカ砲で吹っ飛ばされておしまい、というアナーキーな展開の怪談だったように思います。 子供って……××ですね。 でも、こういうアナーキーさ、今の自分の創造力にもほしいと思ったり。 あと、少年探偵団に感化されて、いかに当人に知られずに尾行をするか、という案を友達と真剣に練っていたのも思い出しました。 何とも恥ずかしいですが、遠い遠い思い出です。

読書

実はプライベートでは、まったく推理小説を読みません。 担当編集者さんに、本を頂いたときはさすがに読みますが……。 なので、現在の推理小説界の動向などもよくわかっていません。 勉強のために、売れ筋の推理小説ぐらいは読むべきかなとは思いますが、何しろ勉強のために本を読むのが苦痛で仕方ないという性分なので、結局読まず……。 まあここら辺が、創作にあたっての私の大きな弱点のひとつなんでしょう。 趣味の読書でも、基本的に亡くなった作家の本しか読まないです。 戦前の探偵小説は結構好きで読んだんですが……これも日本の物に限られるので、知識としてはいささか頼りない。 本棚を見てみると、洋物では新潮文庫のホームズシリーズ、それと創元のブラウン神父は全巻揃えてありますが、それだけ。 あ、火刑法廷と僧正殺人事件もあるな。 『スノウブラインド』で夷戸が言っている読書趣味は、多少誇張してありますが自分に当てはまります。 趣味で読んでいるのは、昔の純文学や怪奇幻想小説ですね。 最近は鷗外と志賀直哉とエドガー・アラン・ポーを楽しく読む毎日。 創元のポー小説全集の第三巻からは怒涛の名作ラッシュで、読んでいて「すげえー!!」と感心することしきりです。 志賀直哉は美しい情景描写と、一転して極度に内省的な心理描写がお気に入り。 創作のネタ探しには、カプランの精神医学教科書や昔の精神病理学論文集なんかを使っています。 しかし、何故自分は推理小説を読まないのか、と考えると、いまいち理由がわかりません。 別に他のジャンルに比べて文学的に下だと思っているわけでもないし。 小学生の頃は、ポプラ社の乱歩シリーズを耽読するというお決まりのコースでした。 それが中学に入ると途端に本を読まなくなり、大学入学で精神的に余裕ができてきたのか、読書をする習慣が復活したものの、ラヴクラフトなどの怪奇幻想小説のほうに魅かれていきました。 そうして、推理小説に回帰することはありませんでした。 『墓地裏の家』で美菜さんが言っている、「不思議は不思議のまま」で愛するという嗜好がいつの間にか根づいちゃったんでしょうか。 というわけで、私が書く怪奇探偵小説も、論理的展開とは程遠いものとなっています。 これじゃいかんなあ、とは思いつつも、勉強のための読書を嫌う自堕落な性格が災いして、今

攻撃

常に淡々と進む私の駄ブログ。 おかげで、見に来る人もほとんどいません。 そこで、どうやって集客しようかと考えて一番最初に思いついたのが、「全方位に喧嘩を売る」。 ……しかしなあ、キャラじゃないしなあ。 いや、本当はめちゃくちゃ短気な人間ですが、年を取るとともにそれなりに人間修養ができてきたのか、あまり怒りを前面に押し出さなくなっちゃったんで。 それに炎上でもしようもんなら、確実にメンタル的なダメージを受けそう。 ということで、私のブログはこれまでどおり、平常運行の当たり障りのない文章に終始していくのです……。 独語集だしね、これでいいのだ。

銀河

昔から、不意に変なことを思いつく人間でした。 うちはキャンプに行くような家ではなかったので、小学校高学年の頃は野営というものに強く憧れていました。 そこで考えついたのが、「庭で寝る」。 といっても、結構本格的なもので、古いカーテンか何かで天幕を張って、その中に寝ました。 その即席野営で今でも思い出になっていることがあります。 ひとつは、暑さで目が醒めて、天幕の中で横になっていると、庭を歩くような音がしていました。 恐らく、猫が歩いていたんでしょうが、暗闇でその音を聞いていると、もっと大きなもの、例えば幽霊が歩き回っているようで、ぞっとしたのを憶えています。 暗闇の中で聞こえる音に恐怖する、という原始的な体験ができたのは、いい思い出です。 もうひとつは、天幕から顔を出してみたら、美しい天の川が見えたこと。 福岡市からほど近いベッドタウンでも、三十年くらい前には天の川が見えました。 初めて見たんですが、あまりの美しさに息を呑んだことを憶えています。 じっと天の川を見ていると、流れ星が幾つも降っていました。 今でもあの時に見た天の川と流れ星が脳裡に浮かびます。 藪蚊には悩まされましたが、楽しい野営でした。 確か、野営気分を最後まで盛り上げるために、朝御飯を庭に運んでもらって、古カーテンの天幕の中で食べた記憶があります。 今では福岡でもよほど田舎に行かないと、天の川なんて見られないんでしょうね。

擱筆

毎日毎日暑い日が続きますね。皆様いかがお過ごしですか、倉野です。 というわけで、新作短篇『双子』を先ほど書き終えました。 原稿用紙で80枚の怪奇小説です。 自分としては、もう20枚ほど書けるかなと思ったんですが、まあこのあたりでおさまりました。 出来は……正直よくわかりません。 短篇が苦手という意識がすり込まれているので、面白いのか面白くないのか、自分ではわからないのです。 幸い、担当編集者の方が、今回もこの短篇の面倒を見てくださるということなので、担当さんの判断に任せたいと思います。 コラムは以前、小説現代誌上に書かせてもらったことはありますが、小説を雑誌に載せたことはないので、何とか好評価を得て、雑誌掲載! となりたいものです。 お盆休みの間、じっくり推敲して、担当さんに送ろうと思っています。 ピリッとしたオチを効果的に見せる、短いながらも登場人物を立たせる、これを主眼に見直しをします。 ではでは、また。

没書

前回書いたように、新たな短篇『双子』の執筆に注力している倉野です。 といっても、まだ原稿用紙37枚しか書いていないんですが……。 いやあ、短篇は難しいですね。 担当さんにも「倉野さんは何でいい短篇が書けないんだろうなあ。長篇型の人なのかな」と言われる始末で。 今まで没になった短篇にも歴史があります。 『蝦蟇』という怪奇短篇については、「話の肝がぼんやりしていて、何が言いたいのかわからない」と言われ、以前にブログでも執筆を告知した短篇『幻覚について』などは、「人物像が紙芝居をみているよう」と酷評され、数回の改稿後に結局没になりました。 他にも没短篇多数。 短い中に、人物を際立たせ、そしてピリッとしたオチをつける――いやはや難しい。 まあ私の実力不足といったらそれまでなんですが、今回は以前の反省を踏まえて、なんとかアクセプトされるよう苦心しています。 没を重ねた分、学習能力は上がっている、と思うので(上がってなきゃ困る!)、今度こそはいい作品が書けて、採用されますように。 お盆休み前までに書けたら、と思っているんですが、どうなりますかねえ。

執筆

東京都心では、蝉の鳴き声も昨日から聞こえ始め、本格的に夏ですね! 夏といえば怪奇小説! というのは前回言いましたね。 でも今回は読むのではなく、書く話です 長篇第三作の怪奇探偵小説の改稿が終わり、暇になったので、新たな怪奇小説の執筆を始めました。 百枚くらいの短篇になればいいなと思って書いています。 仏蘭西の精神病理学者カプグラの論文を読んでいて、着想を得た短篇で、その名も『双子』。 カプグラがどのような人か知っている方には、題名を見て「ああ、その手の話ね」と予想がつきそうですが、なるべく予想を裏切るものになるようがんばっています。 しかし! 短篇は今まで担当さんにことごとくボツにされた、鬼門の分野なのです。 今回も「たぶんボツだろうなあ」と脱力しつつ書いています。 『双子』、果たして日の目を見ることはあるのか? 乞うご期待。

東雲

夏風邪をひいたりしてましたが、こう見えても結構夏っぽいことが好きな倉野です。 海にこそ行きませんが、花火大会を見たり、近所の盆踊りをぼんやり眺めたり、オールで飲んでみたり。 あと、球場に行ってのプロ野球観戦ね! 中でも夏で好きなのは、夜中に怪奇小説を読むことです。 これは大学生時代からやってますね。 古典といわれる古い怪奇小説を繙き、蒲団に横になる。 暗いどんよりした夏の夜に夢中になって読んでいて、あっと驚くような結末を迎える。 ふと、カーテンをめくってみると、外は白々と明けている。 これがいいんですね! 趣深いなあ。 読み終わった時に、白々明けになっていることがベストです。 怪異から現実にようやく戻ってきたような、しかし未だ怪異は闇がわだかまっている樹々の奥などに潜んでいるような、そんな感じを得られるからです。 そういえば本邦怪奇小説翻訳の大家・平井呈一先生は、マッケンだったかの名作(今手許に平井先生の随筆がないので違うかもしれません)を夜中に読んで、あまりの読後感に未だ仄暗い街を亢奮して歩き回ったそうですが、その気持ちはよくわかります。 そういえば、怪談は日本では夏の風物詩ですが、欧米では冬の夜に炉辺に集まってやるものだ、みたいなことを平井先生が書いていた気がしますが、なるほど文化が違うなあと思ったものです。 今は私はポオ全集を読んでいますが、ちょうどいい季節になってきたと思っているところです。 ではまた。

文体

この一ヶ月、改稿していて思ったこと。 「自分の文章って変だなあ」と。 何というか、固いというか、晦渋というか、こなれてないというか。 それで、担当さんに原稿を送ったついでに訊いてみました。「変ですよね?」と。 そうしたら、「ちょっと変かもしれませんね。こなれてないと思いきや、妙にこなれているところもあるし。でも私は結構好きですよ」的な返事をいただきました。 そうかー、やっぱり変なんだ(笑) でも担当さんは好きだと言ってくれているので、今後もこの文体でいこうと思います。 晦渋だっていいじゃない。 目指せ、ヘヴィー・ノベル!!

送付

イメージ
ご無沙汰していました。 たった今、新作の改稿を終えて、担当編集者さんに送ったところです。 いやー、今回は全身全霊を込めて書き直して……と言いたいところですが、寸暇を惜しんで、ベイスターズを応援に横浜スタジアムや神宮球場に行っていました。 まあ、息抜きも重要ということで。 あ、今年からすっかりベイファンになった倉野です。 しかし、読み返してみると、「これで完成!」と思っていた稿も、細かい矛盾点や説明不足なところが見つかるもんですね。 書き直しを命じられて最初は不満に思いましたが、今回改稿の機会が与えられてよかったですよ。 後は来春の出版を祈るだけ! 随分先のことですが、楽しみは先にあったほうがいいということで。 とりあえず、部長さんの最終OKを早く貰いたいです! ではまた。

白兎

今日6月21日は、世界的に有名な方の誕生日なんですが、誰の誕生日かご存知ですか? 今日はmiffy(あるいはnijntje、またはうさこちゃん)の誕生日なんです。 「絵画」の項で、絵は全くわからないと言った私ですが、miffyの作者であるディック・ブルーナ氏のイラストは唯一大好きです。 極端に単純化された線と色彩が大変魅力的なんですね。 特に、ブルーナさんが描く時の手の震えが線に伝わっているのがいいです。 そんなわけでmiffyグッズは我が部屋に色々と置いてあります。 今はクレイアニメになってしまったようですが、私の大学時代には教育テレビで「ブルーナの絵本」というアニメ番組をやっていて、興味深く見ていました。 そのナレーターをしていた長沢彩ちゃんという子が天才的にうまかったのを憶えています。 当時小学校1年生くらいの子だったと思いますが、ちょっと儚げな感じがすごくよかった。 竹下景子さんも「あのナレーションには脱帽」と何かでおっしゃってたのを記憶しています。 その後、miffyの声をあてる方々は、長沢スタイルを踏襲しているような気がするんですが、どうでしょ? ここまでほとんどmiffyと書いてきましたが、私ら世代にはやっぱり「うさこちゃん」のネーミングのほうがしっくりきますね。 福音館書店版は「うさこちゃん」のネーミングの牙城を変わらず守ってくれているので、頼もしい限りです。 最後に私のお勧めの話を――割と最近出版された話ですが、『うさこちゃんときゃらめる』という話がいいですよ。 うさこちゃんが××をしてしまう話で、ブルーナさんが描く単純極まりない表情が、うさこちゃんが不安で眠れない!という顔に見えてくるから不思議です。 最後に、お誕生日おめでとう、うさこちゃん! ブルーナさんはもうご高齢ですが、ますます元気に長生きしていただいて、新作を世に送り続けてもらいたいです。

宿痾

改稿が完成間近と喜んでいたら、胃潰瘍が再発してしまった倉野です。 忘れた頃にぶり返すんだよなあ。 とにかく胃がしくしくと痛みます。特に食後がひどい。 常にしかめっ面になっています。 胃潰瘍は敬愛する漱石大先生も苦しんで、そのために亡くなった病気なので、私みたいな三文文士でも罹れて光栄といえば光栄ですが。 百閒の回想によると、漱石の死後に開腹したところ、血が洗面器いっぱいくらいお腹に溜っていたそうです。ヒー。 私は心気的なので、「もしや胃癌かも?」と秘かに疑っています。 煙草はスパスパ吸うわ、酒は飲むわで、年齢的にも癌になってもいい年齢なので。 しかし、新作を出版するまで死なれんぜよ!(何故か土佐弁) まあただの心気念慮ですがね……。 そのうちピロリの野郎めを根絶してやろうと思います。

改良

順調に新作の改稿を進めていた倉野です。 先日の会談後も、担当A氏とメールでやり取りしてアドバイスをもらいつつ。 去年完成させた稿は自分では納得の出来でした。 しかし、渋々ながらA氏のアドバイスを入れて書き直してみたところ、なんということでしょう、よりよい出来栄えじゃないですか。 自分で書いてて、ニヤニヤしてしまうほど。 やはりプロの編集者さんの視点は違うな、と思い知らされました。 でも、読み返して改稿しながらいつもニヤついているわけではなく、日によって「これはいい出来の作品だな」と躁的な日と、「なんだ、このつまんない小説は」と自虐的な日があります。 別に私が双極性障害なわけではなく、自分の作品への客観的な視点が、日によって揺らいでいるんじゃないかと推察する次第。 ま、出版されてしまったら、この作品だって絶対嫌いになっちゃうんですけどね。 自分の手から離れた作品は、憎悪してしまうたちなので。 「誰々が褒めてくれてたよ」と聞かされると、それはそれで嬉しくて、「あ、あれっていい作品だったのかな??」と思うこともありますが、基本的には嫌悪の対象です。 厄介な性分ですね~。

囲物

鷗外の『雁』を読了した倉野です。 岩波文庫のこの作品の扉には、「生まれてすぐに母を亡くし、貧困の中で父親に育てられたお玉は、高利貸末造の妾となり、上野不忍池にほど近い無縁坂にひっそりと住んでいる。やがて、散歩の道すがら家の前を通る医学生岡田と会釈を交すようになり……。鷗外の哀感溢れる中篇。」とあるんですが、惹句とは異なった感想を持ってしまいました。 惹句を書店で見た時は、「ああ、メロドラマなのね」と簡単に片づけてたんですが。 まず、医学生岡田はあまり登場しません。 物語の展開は、妾を囲う檀那である末造と、妾のお玉、それに末造の本妻のお常にそれぞれ視点が切り替わりながら進んでいきます。 その過程で、哀感というよりも、妾を秘密裡に囲う末造の気苦労、夫に妾がいるとわかった本妻の気苦労などがどこかとぼけた調子で描かれ、すこぶる面白いです。 そこに失われた古い東京の情景や店屋の叙述がからみ、何ともいい雰囲気を醸し出しています。 物語が三分の二ほど進んだところで、お玉の横着さ(あえて「横着」と言っておきます)が増し、岡田への恋が積極性を増すんですが、報われようはずもなく結末を迎えます。 ううん、この辺りの展開が、お玉の自我の萌芽というよりも、妾の境遇に安住しながらないものねだりをする、お玉の横着さとどうしても読めてしまう私は、感覚的におかしいのかな。 末造やお常の視点をさらに増やし、お玉の恋なんてどうでもよいから、妾をめぐる夫婦のとぼけた痴話喧嘩をもっと読みたかった、というのが正直な感想です。 しかし、私も女を囲って、本妻に「この妾狂い!」とキーッとされてみたいです。 あ、まず本妻がいないか……。 私の母方の先祖と鷗外とは浅からぬ因縁があるのですが、それはまたいつか。 次は『ポオ小説全集』の第2巻を読みます。

再編

新作の改稿に着手した倉野です。 先日書いたように、部長さんと担当さんの意見をいれて、新作を手直しすることになったんですが……これが難しい。 御二方曰く「美菜(はい、また今回も登場します)をもっと動かせ」と言われたので、やってみてはいるんですが……それには一旦完成した作品をいっぺん解体しなきゃいけないわけです。 そうなると、ある場面で美菜さんの言動を増やすと、あとの場面で辻褄を合わせなきゃいけなくなる。 すると、さらにまた後に辻褄を合わせ――となっていき、果たして収拾がつくのかな、という感じ。 でも、私はそんなに極端に筆を走らせないほうなので、まあなんとかなるかな、と楽観はしているんですが。 正直面倒臭くて楽しい作業ではないですが、クラノマニアの皆様によりよい作品をお届けできるなら、とがんばっています。 『スノウブラインド』は小説の何たるかもわからずに勢いで初めて書いた作品で、『墓地裏の家』は未だ試行錯誤しながらも光明が見え始め、今回の『弔い月の下にて』は衒学趣味・怪奇趣味、それとコミカルな部分が大分バランスが取れるようになり、自分でかなり納得のいく作品に仕上がっていたので、ちょっと改稿するのは惜しい気もするんですがね。 早く皆さんに読んでもらいたいなあ……。 と、今回は幾分真面目に語ってみました。

映画

ネットのレビューは、まったく読まない倉野です。 映画、音楽、そして文学についても、レビューは読まないですねえ。 文庫本の巻末解説さえ、自分の読後感が損なわれそうで、イマイチ気が進みません。 勿論、拙著についてのネットレビューは、デビュー以来目を通したことはないです 。 どうせぼろくそに書かれていると思うので、精神衛生上よくない。 で、そんな私なので、ここから書くことは、既に手垢のついた感想かもしれませんが、まあおつきあい下さい。 最近、キューブリックのベトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』について、考えています。 よく知られている通り、前半は新兵訓練の模様、後半はベトナム戦争前線での話なんですが……。 あれって、前半はハートマン軍曹の強烈なキャラも相俟って、すこぶる面白いんですが、後半の戦闘はどうもテンションが一段下がっている感じがします。 いっそのこと、新兵訓練だけの話にして、過酷な訓練でしだいに狂気へと駆り立てられていく若者を全編描き、ハートマン軍曹が射殺されて The End だったら、大傑作になったんじゃないかと。 戦闘場面が一切ないベトナム戦争映画ってことで。どうですかね? なんてことをつらつらと考えているんですが、この2年ぐらい全然映画を観てないんですね、私。 近所の TSUTAYA が潰れちゃったもんで。 CS で放映されていたのを数本録画していますが、それも観てない。 なので、早急に別のレンタル屋に会員カードを作りに行かねばなあ、と思いながら、時が過ぎています。 『スクリーム4』も観てないし、『エクスペンダブルズ』シリーズも観たいぞ! でも映画って、観るのに一種の気合が要りますからね。 なかなか気力が出ないんだよなあ。暇はあるのに。 この暇を何に消費しているんだろう……あ、野球観戦か。

赤児

今、志賀直哉の『和解』を読んでいる倉野です。 読み進むうちに、むむ、これって赤ちゃんが急死する話なんですね。 こういう「乳幼児死んじゃう系」の小説って、すごく苦手なんですよ。 鷗外の『金毘羅』もそうだし、漱石の『彼岸過迄』もそう。 深く心には残るんですが、なんというか、動揺してしまって読んでいられない気持ちになる。 『金毘羅』で、主人公が瀕死の娘のところに顔を見せると、娘は苦しいはずなのに微笑反射するところや、『彼岸過迄』で宵子が倒れる前にリボンのことを「イボンイボン」といって遊んでいるところなんて、胸苦しくなります。 私は結婚もしてないので当然子供もいなくて、幸いこういう経験はしたことがないし、家族親戚にもこんな事件は起こったことはないですが、どうしてなんでしょうね。 私はそんなに感傷的な人間じゃないので、単純に小説の登場人物の死を悲しがっているわけではないし……。 それに、大人が小説中で死んでも、こんな気分にはなりません。 自分で小説を書く時も、乳幼児だけは死なせないようにしています。 どう書いていいのかわからなくなると思うので。 乳幼児が死ぬということに対して、何故こんなに名状しがたい気分になるのか……? 何かその裏に私の外傷的な体験が隠されているのではないかと、自己分析したくなりますが、面倒臭くなったので寝ます。 おやすみなさーい。

延期

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どうもお久しぶりです。すっかりブログのことを忘れていた倉野です。 次の記事は出版関係のことを書きたいなと思っていたんですが、ずっとそのことが停滞していまして、その間にブログの存在を頭から消し去っていたのです。 で、今日都内某喫茶店で、文藝春秋の担当者さんと、新作について打ち合わせしてきました。 ちらりと腕組みしている姿が写っているのが、担当のAさん。 そこで伝えられた、衝撃の事実! タイトルからもお察しの通り、新作は来年春に発売?と再延期になりました……。 色々と事情がありましてね、最終決定を下す部長さんが、出版を実に迷っていると。 さらに、今から出すとなると秋近くなり、大物作家の方たちがこぞって出す秋は私の作品が埋没してしまうし、新作の怪奇探偵小説は春の話なので、どうせなら春に出しましょう、と。 探偵小説読者界にごく少数存在しているかもしれないクラノマニアの方には、「また延期かよ~」とがっかりさせてしまうかもしれませんが、いい時間が与えられたので、今日新作について話し合った結果を反映させて、よりブラッシュアップに努めたいと思います。 それともうひとつ。 デビュー作『スノウブラインド』が来年もしかしたら文庫化されるかも?です。 あの作品は私は大嫌い(それを言ったら、出版されてしまった物はすべて嫌いになってしまう乱歩的性分なんですが)ですが、文庫になったらそれはそれで嬉しいですね。 しかし、若書きの最たるもののようなあの作品を文庫化するには、大幅な改稿が必要となるので、決定ではありませんよ。気長にお待ちくださいね。 ということで、またブログをちょくちょく上げていこうと思っているので、またおつき合いください。

熱唱

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思いっきり下町の雰囲気を凝縮したような日暮里で、妙に家庭的な暖かさで飲んでるんですね~。 もう一、二軒、この雰囲気を求めて行っちゃいますね~。(吉田類さん口調) で、日暮里駅前のアイリッシュパブで、Motley Crue の「Dr. Feelgood」がかかったのをいいことに、熱唱しちゃってるんですね~。D.R.I.キャップにVenomのBlack MetalのTシャツで。驚きましたね~(さらに吉田類さん口調)。 いや、ほんとこの年代のメタルとかパンクがかかると、身体が疼いてたまりまへん。 来年不惑なのに、いいのかこれで?! 久々の投稿が小ネタですいまへん。 次回はちゃんとしたネタを仕込んでおきますんで。

英雄

週末、ちょっと故郷福岡に帰っていました。 そして週が変わって、今日の日刊スポーツで目をひいたのがこの記事。 『内海に「黒田長政の心」武功を/WBC』 http://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2013/news/p-bb-tp0-20130305-1093341.html 今まで別に巨人ファンではなかったのですが、この内海投手の言葉には感激しましたね。 私は少年期から、初代福岡藩主・黒田長政公を熱烈に尊敬しています。 侍JAPANの戦士から、長政公の名前が出るとは、感慨深いものがあります。 長政公はよく知られている通り、関ヶ原の戦前には小早川金吾秀秋ら西軍有力諸将を東軍に内通させ、戦っては石田三成隊と激戦を繰り広げ、鬼と言われた島左近を討ち取り、関ヶ原で第一級の功をあげた武勇と知略に優れた名将です。 しかし、狂信的如水信者の間には、長政公を不当に貶め、翻って如水の名将ぶりを際立たせるという卑怯な動きがあるのも事実。 そういう動きに、私はかねてから心を痛めていました。 戦っては、自ら先陣を切って突撃する勇猛さで、親譲りの知略にも優れた名将が何故いまひとつ正当な評価を受けられないのかと。 そこで、私の物書き的な目標として、長政公を主人公とした歴史小説を書こうと随分前に思い至りました。 自らの子を「不肖の子」と呼ぶ優れてはいるが偏屈な父・如水との葛藤、そして親子愛、福岡五十二万石の礎を築いた「偉大な二代目」の肖像をテーマにしてみたいと思っているのです。 今まで私が知る限りでは、長政公単体を主人公とした歴史小説は二冊書かれていますが、どちらも読んでみて、あまり個人的には納得いくものではありませんでした。 いつになるかはわかりませんが、地道に史料を集めて、自分なりの黒田長政像を描き出すべく、執筆の準備をしたいと思っています。 来年のNHK大河ドラマは如水が主人公だそうですが、長政公が暗愚な武将と描かれるのではないか、と危惧しています。 NHKさん、正当な評価を頼みますよ~。 そして、熱狂的な野球ファンで勿論WBCを応援している私は、長政公の名を挙げてくれた内海投手にも注目したいと思っています。 がんばれ、内海投手!

緑茶

明日は、やるべき仕事があるというのに、こんな時間まで眠れない倉野です。 この数ヶ月、新作の出版がありやなしや? という微妙な状況が続いていまして、屈託しているのが不眠の要因のひとつかも。 はたまた、土曜に「休みだ!」と思って、思いっきり(16時間)寝てしまったのも要因のひとつか。 「いや、その寝過ぎが要因だろ!」という容赦ない読者のつっこみは甘受します。 最近耽読している久生十蘭の河出文庫から出ている短篇集(非探偵小説ものばかりです)を、さっきまで読んでいましたが、読書をやめて輾転反側に移り、それでも「うー、眠れん」となったので、ブログに向かった次第。 睡眠導入剤のマイスリーが効かなくなり、今は睡眠に関して孤立無援の状態です。 一旦眠りに就くことができれば、その後は安眠できるんですが、寝入れないと明け方まで眼を爛々と光らせ、のっつそっつしてしまう。 緑茶の飲み過ぎなんだろうか。 緑茶――ときたら、怪奇幻想文学好きな方は、アレを思い出すでしょうね。 レ・ファニュ作のその名も『緑茶』という短篇。 緑茶の興奮作用、それに当時の脳科学などをちらりと織り込み、登場人物ジェニングズ師の前に現れた「小猿」の謎を解くという物語。 最近私はストレスで、煙草をまたスパスパやりだしたんですが、そうしていると緑茶がかかせません。 で、がぶがぶ飲んでいるわけですが――ジェニングズ師のようにこれが嵩じて破滅に陥らないようにしませんとな。 ぷか~。ごくごく。

城址

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こんな風の日には――懐かしの赤塚城址散策と洒落込みました。 ここは、拙著第二作『墓地裏の家』で、探偵役の三人が暴漢に襲われる板橋区の廃城です。 詳しいお城の解説は、拙著を読んでもらうこととして――。 これが濠跡の溜池から見た赤塚城。 ただの丘にしか見えませんね。 土塁につけられた結構険しい道を登っていくと――。 探偵役がムーンライト・ピクニックを行った本丸跡は、こんな感じです。 現在は何にもない冬枯れの野原となっています。 数百年前、ここでつわものどもが活動していたと思うと、不思議な気分になりますね。 夜にも行ったことが何回かありますが、本当に真っ暗で、幽的が出るんじゃないかという雰囲気。 そうそう、夜にここを訪れた時、帰りに樹の梢が風もないのに揺れているなあと思って見ていたら、急に肩が激しく痛み出したことがありました。 帰宅して塩を肩に振りかけたら、噓のように治ってしまいましたが。 あれは何だったのか……?

強面

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「二人」の項で書いたような、坊主+バンドT+レイバンのグラサンというフル装備をすると、こんな風になるわけで。 池袋のちゃんこ鍋屋でズーチーしたわけで。 今日は小ネタなわけで。

研究

十年近く前、ひきこもりだった時、よく夜間にだけ外出して近所を散歩していました。 そんな中、何気なく住宅街を歩いていると、何の変哲もない古い家に、こんな看板が架かっていたのです 「垂直離着陸飛行研究所」 思わず二度見しましたね。 こんな裏ぶれた路地裏の家に、何ともそぐわない看板。 しかも、どうやら大した庭もなさそうで、どんなに小型の垂直離陸機でさえ発進できそうにない。 しかし、と私は思ったのです。 こんなところにひっそりと在野の天才科学者がいて、日夜、垂直離着陸戦闘機の設計、研究をしていることもあり得るかもしれない。 はたまた、この古い家は世を忍ぶ仮の姿、実は世界の兵器企業幹部が日参する秘密研究所ではなかろうかと(秘密なら、看板なんか掲げないか……)。 しばし看板の前で佇みながら、妄想が次々と湧き出してくるのでした。 いやあ、私が住んでる二十三区の某区はなかなかDEEPなスポットであるな、と独りごちながら感慨深く立ち去ったものです。 あの研究所、まだあるのかしら。 今度訪問してみようかな。 実はすごい研究所だったらどうしよ?!

遊戯

私はよく暇な時に、ぱっと目に入った言葉の頭文字をひっくり返す遊びを、小さい頃からよくしています。 もう癖みたいなもの。 今日駒込あたりの歩道を何気なく歩いていたら、「餃子の王将」の看板が目に入りました。 そこで即浮かんだのは……「王座の行商」。 久々のヒット作! なんか行李を背負ったおばあちゃんが「王座~、王座はいらんかね~」と売り歩いているシュールな感じ。 言葉に偏執的なまでにこだわる漫画家の上野顕太郎さんなんかが、もうネタにしているかもしれないけど。 ……え、だからなんだって?? わしも知らん! 追記:この項を書いた後、「王座の行商」でgoogle検索してみたら、3万件近く出てきた……。     なんだ、みんなもう気づいてたのね! 昂奮して損したわ。

襯衣

365日バンドT着用の倉野です。 バンドTは、もう制服みたいなもんですね。 ハードコアパンク、グラインドコア、ブラックメタル、スラッシュメタルを中心にかなりの数を持っています。 中でも最も所蔵数が多いバンドは、D.R.I. ハードコアパンクとメタルの垣根をぶち壊した、クロスオーバーハードコアの雄として知られているバンドですね。 音楽的に一番好きなバンドのひとつでもあり、そしてバンドロゴ(有名な非常口マーク)がまたかっこいいんですよ。 D.R.I.だけで、10着近く持ってるかな。 キャップもふたつ持ってるし。 あと、お気に入り過ぎてなかなか着られないのは、ヘアメタルバンドのPOISONですかね。 Flesh & Bloodツアーの復刻Tを持っています。 ここで私のこだわり。 バンドTは黒地が多いので、洗濯しているうちに灰色になってしまって、悲しい思いをした方も多いはず。 洗濯する時はネットに入れて、蛍光増白剤・漂白剤の入っていない液体洗剤を是非使ってみてください。 これだけで、色持ちが全然違います。 そして、干す時は肩口の生地を首のほうへ寄せて、首回りに余裕を持たせて、首の近くを洗濯バサミでとめること。 これで首回りがダルダルになることがありません。 お試しあれ。 「バンドTなんてどこで買うの?」という声もあるかもしれませんが、以前は高円寺にあり、今は北海道に移転されたDragtrainさんで私はいつもネット通販です。 昔はバンドTといえばサイズがアメリカンLサイズしかなくて、ダボダボでかなりダサかったものですが、今はMサイズも豊富にあるので助かります。 そんな私がどうしても手に入れたいのは、L.A.Gunsの1stアルバムのやつ(2ndのは持ってるんですが……)。 あとゲロ大好きのお茶目なクロスオーバーバンド、Wehrmachtとかもほしいかな。 SODOMのロゴだけのTシャツがあれば、それも。 明日もお気に入りのバンドTの上に革ジャンを羽織って、街を闊歩するぞ! 寒いけどな!

二人

身体をもう一度鍛え直して11ヶ月になる倉野です。 筋トレ(腕立て、腹筋、懸垂)とジョギングをしています。 一転して話が変わり、私はPhilという名のアーティストに魅かれる傾向があるようです。 青春時代は、本格ミステリー・ワールドに書いたとおり、L.A.Gunsにどっぷりはまり、ヴォーカルのPhil Lewisが憧れの人でした(リズムギターのMickとベースのKellyも大好きだったけどね)。 今は元PANTERA、現DOWNのPhil Anselmoフォロワーになっています。 とにかく彼はかっこいい! 風貌、ファッション、すべてに危険なロック親父の匂いがします。 私がモヒカンにしたり、ほぼスキンのくりくり坊主にするのも彼の影響です。 最近また坊主にしたのは、モヒカンにそろそろ飽きたのと、YoutubeでPhil Anselmoのインタビューを見たら、彼が坊主にしていたから。 私は髪型といったら、モヒカンと坊主の二種しか知りません(私がまともな社会人でないのはこれでも明らかですね)。 そして最近もうひとつ注目したのが、Phil Anselmoの体型。 彼は、一旦筋肉をつけた後、それが緩んだようなガチムチな軀なんですが、それを見て、「おう、私もこうしよう!」と。 元来私は痩せ型だったんですが、年齢と共にやっぱり緩んできています。 じゃあどうせなら筋肉をつけ、それに中年らしく適度に脂肪がのったガチムチ野郎になってみようと。 こうして鍛錬を続けているわけです。 ガチガチにカットが出た筋肉質を目指しているわけではないので、飲酒やドカ食いのリスクも気にならないですしね。 これを書いている今も大胸筋に筋肉痛があるわけですが、「Phil体型に近づいてるぜ~」と思うと、ふつふつと満足感が湧いてきます。 しかし、昨年末、レイバンのサングラスを買ったんですが、スキン寸前の3ミリ坊主&バンドTシャツにレイバンのグラサンはヤバいかな、とちょっと思ったりします(バンドTネタはまた書きます)。 夜の街で職質を受けたり、からまれたりしないように気をつけよう。 よし、これから腹筋やるぜ! 目指せ、ロック親父!

尾籠

どうも、すっかりブログを放置していた倉野です。 はっきり言えば、書くことがない、飽きた、って感じだったんですが、新年になったのを契機にまた取り組んでみようかと。 まあ、読者はほとんどいないと思いますが。 昨年の個人的なニュースとして一番に上がるのは、新作が出なかった、ではなく、肛門科に初めて行った、ですね、やっぱり。 夏頃に便秘になったのをきっかけに、無理にいきんだのがいけなかったのか、人生初切れ痔になりました。 もうこれが痛い痛い。 排便時に、太腿をバシバシ叩いて気を紛らわさないと、出すものも出せない。 市販の注入軟膏を使ってみたものの、一向によくならず、一ヶ月が虚しく過ぎました。 そこで、このままでは手術になるかもしれないという懸念と、後学のために、肛門科に行ってみることにしました。 診察室に呼ばれて、おどおどしながら室内に入ると、すぐに診察台に横向きに寝るようにと穏やかに宣告する先生。 そしてタオルケットを下半身にかけられ、ジーンズを脱げ、と。 ここでもう結構屈辱なわけですが、一ヶ月の切れ痔生活にすっかりまいっていた私は、「よくなるのなら」と藁にもすがる思いで下半身裸になります。 で、「麻酔を塗りますよ」の言葉が先生からかけられるかどうかのところで、肛門にはげしい圧迫と激痛が。 麻酔を塗った人差し指(?)をいきなりぶっこまれたのです。 もう息ができないくらいの苦痛でしたね。 そして「もういいだろ」と思うくらい万遍なく肛門内に麻酔を塗られたら、次は何かの器具をぶちこまれました(後で明細を見て知ったのですが、「肛門鏡」というおぞましい名の器具でした。肛門内を見やすくするための道具らしいです)。 ここでまた悶絶です。 さっきの麻酔は何だったのかと思うくらいの痛み。 もう悶死寸前。 先生から「ゆっくり息を吐いてくださいねー」と事務的に言われるのですが、もう息も絶え絶えという感じです。 「早く終わってくれ」と、とにかく祈る数分間。 その間に、隈なく肛門内を見られてしまった私なのでした。恥辱。 幸い、切れ痔は手術するほどではなく、「強力ポステリザン」という頼もしい名前の注入軟膏を出されて終わりでした。 その軟膏を入れてたら、十日ほどで痔は治ってしまいましたが。 肛門科に行く前は、「もしや新たなる官能の世界が