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6月, 2013の投稿を表示しています

白兎

今日6月21日は、世界的に有名な方の誕生日なんですが、誰の誕生日かご存知ですか? 今日はmiffy(あるいはnijntje、またはうさこちゃん)の誕生日なんです。 「絵画」の項で、絵は全くわからないと言った私ですが、miffyの作者であるディック・ブルーナ氏のイラストは唯一大好きです。 極端に単純化された線と色彩が大変魅力的なんですね。 特に、ブルーナさんが描く時の手の震えが線に伝わっているのがいいです。 そんなわけでmiffyグッズは我が部屋に色々と置いてあります。 今はクレイアニメになってしまったようですが、私の大学時代には教育テレビで「ブルーナの絵本」というアニメ番組をやっていて、興味深く見ていました。 そのナレーターをしていた長沢彩ちゃんという子が天才的にうまかったのを憶えています。 当時小学校1年生くらいの子だったと思いますが、ちょっと儚げな感じがすごくよかった。 竹下景子さんも「あのナレーションには脱帽」と何かでおっしゃってたのを記憶しています。 その後、miffyの声をあてる方々は、長沢スタイルを踏襲しているような気がするんですが、どうでしょ? ここまでほとんどmiffyと書いてきましたが、私ら世代にはやっぱり「うさこちゃん」のネーミングのほうがしっくりきますね。 福音館書店版は「うさこちゃん」のネーミングの牙城を変わらず守ってくれているので、頼もしい限りです。 最後に私のお勧めの話を――割と最近出版された話ですが、『うさこちゃんときゃらめる』という話がいいですよ。 うさこちゃんが××をしてしまう話で、ブルーナさんが描く単純極まりない表情が、うさこちゃんが不安で眠れない!という顔に見えてくるから不思議です。 最後に、お誕生日おめでとう、うさこちゃん! ブルーナさんはもうご高齢ですが、ますます元気に長生きしていただいて、新作を世に送り続けてもらいたいです。

宿痾

改稿が完成間近と喜んでいたら、胃潰瘍が再発してしまった倉野です。 忘れた頃にぶり返すんだよなあ。 とにかく胃がしくしくと痛みます。特に食後がひどい。 常にしかめっ面になっています。 胃潰瘍は敬愛する漱石大先生も苦しんで、そのために亡くなった病気なので、私みたいな三文文士でも罹れて光栄といえば光栄ですが。 百閒の回想によると、漱石の死後に開腹したところ、血が洗面器いっぱいくらいお腹に溜っていたそうです。ヒー。 私は心気的なので、「もしや胃癌かも?」と秘かに疑っています。 煙草はスパスパ吸うわ、酒は飲むわで、年齢的にも癌になってもいい年齢なので。 しかし、新作を出版するまで死なれんぜよ!(何故か土佐弁) まあただの心気念慮ですがね……。 そのうちピロリの野郎めを根絶してやろうと思います。

改良

順調に新作の改稿を進めていた倉野です。 先日の会談後も、担当A氏とメールでやり取りしてアドバイスをもらいつつ。 去年完成させた稿は自分では納得の出来でした。 しかし、渋々ながらA氏のアドバイスを入れて書き直してみたところ、なんということでしょう、よりよい出来栄えじゃないですか。 自分で書いてて、ニヤニヤしてしまうほど。 やはりプロの編集者さんの視点は違うな、と思い知らされました。 でも、読み返して改稿しながらいつもニヤついているわけではなく、日によって「これはいい出来の作品だな」と躁的な日と、「なんだ、このつまんない小説は」と自虐的な日があります。 別に私が双極性障害なわけではなく、自分の作品への客観的な視点が、日によって揺らいでいるんじゃないかと推察する次第。 ま、出版されてしまったら、この作品だって絶対嫌いになっちゃうんですけどね。 自分の手から離れた作品は、憎悪してしまうたちなので。 「誰々が褒めてくれてたよ」と聞かされると、それはそれで嬉しくて、「あ、あれっていい作品だったのかな??」と思うこともありますが、基本的には嫌悪の対象です。 厄介な性分ですね~。

囲物

鷗外の『雁』を読了した倉野です。 岩波文庫のこの作品の扉には、「生まれてすぐに母を亡くし、貧困の中で父親に育てられたお玉は、高利貸末造の妾となり、上野不忍池にほど近い無縁坂にひっそりと住んでいる。やがて、散歩の道すがら家の前を通る医学生岡田と会釈を交すようになり……。鷗外の哀感溢れる中篇。」とあるんですが、惹句とは異なった感想を持ってしまいました。 惹句を書店で見た時は、「ああ、メロドラマなのね」と簡単に片づけてたんですが。 まず、医学生岡田はあまり登場しません。 物語の展開は、妾を囲う檀那である末造と、妾のお玉、それに末造の本妻のお常にそれぞれ視点が切り替わりながら進んでいきます。 その過程で、哀感というよりも、妾を秘密裡に囲う末造の気苦労、夫に妾がいるとわかった本妻の気苦労などがどこかとぼけた調子で描かれ、すこぶる面白いです。 そこに失われた古い東京の情景や店屋の叙述がからみ、何ともいい雰囲気を醸し出しています。 物語が三分の二ほど進んだところで、お玉の横着さ(あえて「横着」と言っておきます)が増し、岡田への恋が積極性を増すんですが、報われようはずもなく結末を迎えます。 ううん、この辺りの展開が、お玉の自我の萌芽というよりも、妾の境遇に安住しながらないものねだりをする、お玉の横着さとどうしても読めてしまう私は、感覚的におかしいのかな。 末造やお常の視点をさらに増やし、お玉の恋なんてどうでもよいから、妾をめぐる夫婦のとぼけた痴話喧嘩をもっと読みたかった、というのが正直な感想です。 しかし、私も女を囲って、本妻に「この妾狂い!」とキーッとされてみたいです。 あ、まず本妻がいないか……。 私の母方の先祖と鷗外とは浅からぬ因縁があるのですが、それはまたいつか。 次は『ポオ小説全集』の第2巻を読みます。

再編

新作の改稿に着手した倉野です。 先日書いたように、部長さんと担当さんの意見をいれて、新作を手直しすることになったんですが……これが難しい。 御二方曰く「美菜(はい、また今回も登場します)をもっと動かせ」と言われたので、やってみてはいるんですが……それには一旦完成した作品をいっぺん解体しなきゃいけないわけです。 そうなると、ある場面で美菜さんの言動を増やすと、あとの場面で辻褄を合わせなきゃいけなくなる。 すると、さらにまた後に辻褄を合わせ――となっていき、果たして収拾がつくのかな、という感じ。 でも、私はそんなに極端に筆を走らせないほうなので、まあなんとかなるかな、と楽観はしているんですが。 正直面倒臭くて楽しい作業ではないですが、クラノマニアの皆様によりよい作品をお届けできるなら、とがんばっています。 『スノウブラインド』は小説の何たるかもわからずに勢いで初めて書いた作品で、『墓地裏の家』は未だ試行錯誤しながらも光明が見え始め、今回の『弔い月の下にて』は衒学趣味・怪奇趣味、それとコミカルな部分が大分バランスが取れるようになり、自分でかなり納得のいく作品に仕上がっていたので、ちょっと改稿するのは惜しい気もするんですがね。 早く皆さんに読んでもらいたいなあ……。 と、今回は幾分真面目に語ってみました。

映画

ネットのレビューは、まったく読まない倉野です。 映画、音楽、そして文学についても、レビューは読まないですねえ。 文庫本の巻末解説さえ、自分の読後感が損なわれそうで、イマイチ気が進みません。 勿論、拙著についてのネットレビューは、デビュー以来目を通したことはないです 。 どうせぼろくそに書かれていると思うので、精神衛生上よくない。 で、そんな私なので、ここから書くことは、既に手垢のついた感想かもしれませんが、まあおつきあい下さい。 最近、キューブリックのベトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』について、考えています。 よく知られている通り、前半は新兵訓練の模様、後半はベトナム戦争前線での話なんですが……。 あれって、前半はハートマン軍曹の強烈なキャラも相俟って、すこぶる面白いんですが、後半の戦闘はどうもテンションが一段下がっている感じがします。 いっそのこと、新兵訓練だけの話にして、過酷な訓練でしだいに狂気へと駆り立てられていく若者を全編描き、ハートマン軍曹が射殺されて The End だったら、大傑作になったんじゃないかと。 戦闘場面が一切ないベトナム戦争映画ってことで。どうですかね? なんてことをつらつらと考えているんですが、この2年ぐらい全然映画を観てないんですね、私。 近所の TSUTAYA が潰れちゃったもんで。 CS で放映されていたのを数本録画していますが、それも観てない。 なので、早急に別のレンタル屋に会員カードを作りに行かねばなあ、と思いながら、時が過ぎています。 『スクリーム4』も観てないし、『エクスペンダブルズ』シリーズも観たいぞ! でも映画って、観るのに一種の気合が要りますからね。 なかなか気力が出ないんだよなあ。暇はあるのに。 この暇を何に消費しているんだろう……あ、野球観戦か。

赤児

今、志賀直哉の『和解』を読んでいる倉野です。 読み進むうちに、むむ、これって赤ちゃんが急死する話なんですね。 こういう「乳幼児死んじゃう系」の小説って、すごく苦手なんですよ。 鷗外の『金毘羅』もそうだし、漱石の『彼岸過迄』もそう。 深く心には残るんですが、なんというか、動揺してしまって読んでいられない気持ちになる。 『金毘羅』で、主人公が瀕死の娘のところに顔を見せると、娘は苦しいはずなのに微笑反射するところや、『彼岸過迄』で宵子が倒れる前にリボンのことを「イボンイボン」といって遊んでいるところなんて、胸苦しくなります。 私は結婚もしてないので当然子供もいなくて、幸いこういう経験はしたことがないし、家族親戚にもこんな事件は起こったことはないですが、どうしてなんでしょうね。 私はそんなに感傷的な人間じゃないので、単純に小説の登場人物の死を悲しがっているわけではないし……。 それに、大人が小説中で死んでも、こんな気分にはなりません。 自分で小説を書く時も、乳幼児だけは死なせないようにしています。 どう書いていいのかわからなくなると思うので。 乳幼児が死ぬということに対して、何故こんなに名状しがたい気分になるのか……? 何かその裏に私の外傷的な体験が隠されているのではないかと、自己分析したくなりますが、面倒臭くなったので寝ます。 おやすみなさーい。

延期

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どうもお久しぶりです。すっかりブログのことを忘れていた倉野です。 次の記事は出版関係のことを書きたいなと思っていたんですが、ずっとそのことが停滞していまして、その間にブログの存在を頭から消し去っていたのです。 で、今日都内某喫茶店で、文藝春秋の担当者さんと、新作について打ち合わせしてきました。 ちらりと腕組みしている姿が写っているのが、担当のAさん。 そこで伝えられた、衝撃の事実! タイトルからもお察しの通り、新作は来年春に発売?と再延期になりました……。 色々と事情がありましてね、最終決定を下す部長さんが、出版を実に迷っていると。 さらに、今から出すとなると秋近くなり、大物作家の方たちがこぞって出す秋は私の作品が埋没してしまうし、新作の怪奇探偵小説は春の話なので、どうせなら春に出しましょう、と。 探偵小説読者界にごく少数存在しているかもしれないクラノマニアの方には、「また延期かよ~」とがっかりさせてしまうかもしれませんが、いい時間が与えられたので、今日新作について話し合った結果を反映させて、よりブラッシュアップに努めたいと思います。 それともうひとつ。 デビュー作『スノウブラインド』が来年もしかしたら文庫化されるかも?です。 あの作品は私は大嫌い(それを言ったら、出版されてしまった物はすべて嫌いになってしまう乱歩的性分なんですが)ですが、文庫になったらそれはそれで嬉しいですね。 しかし、若書きの最たるもののようなあの作品を文庫化するには、大幅な改稿が必要となるので、決定ではありませんよ。気長にお待ちくださいね。 ということで、またブログをちょくちょく上げていこうと思っているので、またおつき合いください。