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7月, 2015の投稿を表示しています

無常

田山花袋の『時は過ぎゆく』読了。 これは作者の叔父叔母一家をモデルにして、明治維新から大正初期までの一族の流転の人生を描いたもの(花袋自身も「眞弓」という名で出てきます)。 といっても、そこは花袋のこと、人が産まれ、死に、家運も変遷を辿りますが、あくまで淡々と、物静かに物語は進行していきます。 花袋の文章に免疫がない方は、「何だ、この平坦で退屈な話は」と切って捨てるかもしれません。 しかし、じっくりと読んでいけば、底に流れる深い情感、哀感と、まさに「時は過ぎゆく」無常感に思いを致さずにはおれません。 そしてもうひとつの本作の見どころは、明治時代の世相風俗が生き生きと描かれていること。 日清日露の時代くらいからなら、現代の私たちにも少しは想像がつきますが、維新直後の荒廃した日本の様子などが描かれ、「なるほど」と思わされました。 時は過ぎゆく――まさに私も不惑を超えて、人生の折り返し地点を過ぎましたが、本作の主人公・青山良太のように、実直に勤勉に清廉に生きていくことはできるでしょうかねえ。 ……勤勉は無理だな。 ここでちょっと思い出したこと。 本作の題名を見て、すぐに映画『カサブランカ』で有名なジャズの名曲「As time goes by」を思い出す方も多いでしょう。 しかし、私が二十年程前、大学の哲学講義で時間論を取っていたんですが、この曲の邦題「時の過ぎ行くままに」というのは誤訳だと教えられました。 本当は「時は過ぎ行くけれど」と訳すのが正しいのだと。 本当は「時は過ぎゆくけれど、変わらない物は変わらない」という不変の思想が貫かれていた詩が、「時の過ぎ行くままに」――「ゆく河の流れは絶えずして」的ないかにも日本人好みの時間的無常感に変化した、ナイスな誤訳になっていると哲学の先生はおっしゃってましたね。 以上、ひと口メモでした。

別離

こんな裏話をブログに書いていいものか、と迷ったんですが、書いちゃうのである。 今月一日付で、文藝春秋の担当編集者さんが他部署に異動になったと先日聞き、驚愕した私なのである。 デビュー前からお世話になった方でして、売れない私を叱咤激励し、愚作を売り込んでくれた唯一の理解者兼業界の唯一の知り合いだっただけに、腰を抜かました。 池袋のある歴史を題材にした短篇をこの数か月書こうとしてたんですが、どうにも良いアイデアが浮かばず、「物書きとしての自分もそろそろ潮時かなァ」とか鼻糞ほじりながら思ってたところに、この人事異動のニュース。 私は滅法世間が狭く、他に業界の知り合いもいないので、これからの行く末に不安がいっぱいなのです。 売れない物書きは死なず、ただ消え去るのみ。いや、いつかは死ぬけどね。 そういえば、ブログの説明やらプロフィールから、「物書き」という文言を外しました。 常々、売れてもいないし作品数もちょっとしか出していない自分は作家と名乗るのはおこがましい、物書きの端くれぐらいだ、と考えていたんですが、あまりに作品が出せないので、物書きと名乗るのもおこがましい、と思うようになりまして。 出版されないにしても何故私がバンバン作品を量産できないのか、それはひとつは怠惰なせいもありますが、理由はそれだけじゃないということに最近気づきましたが、それはまたいずれ。

反応

毎日毎日暑いですねえ。 まあ元来私は暑い夏が好きなので、どうってことはないですが。 先日、このブログにコメントを寄せてくれた方が二人おりました。 知人以外見てないんだろうなあと、惰性で書いてたブログだったので、驚きと共に素直に嬉しかったですよ。 コツコツ書いていた甲斐があったなあと。 どんなコメントでも嬉しくなっちゃうので、読者の皆さん、気軽に書き込んでくださいね! 新作を待ってくださっている方々に報いるような働きをしたいんですが……編集者さんとも最近連絡が取れてないし、どうなることやら……。 短篇でもいいんで、年に一作は発表したいんですけどね。 では~、頑張ります!

温泉

梅雨で雨ばかり。 こんな季節、傘を地面に水平に持って振りながら歩いている人を見ると、わざと近寄って当たりに行く、性格の悪い倉野です。 さて、田山花袋による温泉紀行『温泉めぐり』を読了しました。 面白かった! 山巒、というのが本書の最頻出単語なんですが(はーい、ここ試験に出ますよー)、明治時代で交通も不便な時代に、花袋はよく山の温泉を巡ったなあと感心してしまいます。 関西以東の温泉を中心に、有名無名取り混ぜて、ほとんどの温泉が網羅してあります。 で、山巒、嵐気が頻出するように、花袋は山の中にある温泉が好きなんだろうな、と思いつつ頁を繰っていると、最後の最後になって、すべてをひっくり返しにかかります。 曰く、「しかし何と言っても、温泉は別府だ。九州ばかりではない。日本でもこれほど種類の複雑した、分量の多い、それでいて、海にも山にも近く、平民的にも貴族的にも暮らせる温泉はまア沢山はあるまいと思われる。別府に比べたら、伊豆の熱海や伊東などは殆ど言うに足りない」と。 いやあ、花袋さん、それは言い過ぎじゃないの~? と九州人である私などは思ってしまうんですが。 同じ九州でも武雄温泉を「俗だ」と吐き捨てるように言う花袋氏ですが、別府ほど俗な温泉はないと思うんですがねえ。 ま、そんなこんなで花袋氏による極めて主観的な温泉評を微笑ましく読むことができる本書は、温泉好きには必携です。 特に、好きな温泉がある人は、田山花袋の評に頷くかどうか、そこも見所だと思われます。 私は年末年始はいつも二日市温泉(旧名・武蔵温泉)で過ごすんですが、花袋に褒めまくられているのを読んで、嬉しくなってしまいました。 花袋づいている私、次は『時は過ぎゆく』を読んでいます。 と、ここまでいつものように読書記録を書いていて、ふと、「こんなの読書メーターかブクログにでもひっそりアップしてればいいんじゃね?」という考えが浮かんできた。 そうだね!