無常
田山花袋の『時は過ぎゆく』読了。 これは作者の叔父叔母一家をモデルにして、明治維新から大正初期までの一族の流転の人生を描いたもの(花袋自身も「眞弓」という名で出てきます)。 といっても、そこは花袋のこと、人が産まれ、死に、家運も変遷を辿りますが、あくまで淡々と、物静かに物語は進行していきます。 花袋の文章に免疫がない方は、「何だ、この平坦で退屈な話は」と切って捨てるかもしれません。 しかし、じっくりと読んでいけば、底に流れる深い情感、哀感と、まさに「時は過ぎゆく」無常感に思いを致さずにはおれません。 そしてもうひとつの本作の見どころは、明治時代の世相風俗が生き生きと描かれていること。 日清日露の時代くらいからなら、現代の私たちにも少しは想像がつきますが、維新直後の荒廃した日本の様子などが描かれ、「なるほど」と思わされました。 時は過ぎゆく――まさに私も不惑を超えて、人生の折り返し地点を過ぎましたが、本作の主人公・青山良太のように、実直に勤勉に清廉に生きていくことはできるでしょうかねえ。 ……勤勉は無理だな。 ここでちょっと思い出したこと。 本作の題名を見て、すぐに映画『カサブランカ』で有名なジャズの名曲「As time goes by」を思い出す方も多いでしょう。 しかし、私が二十年程前、大学の哲学講義で時間論を取っていたんですが、この曲の邦題「時の過ぎ行くままに」というのは誤訳だと教えられました。 本当は「時は過ぎ行くけれど」と訳すのが正しいのだと。 本当は「時は過ぎゆくけれど、変わらない物は変わらない」という不変の思想が貫かれていた詩が、「時の過ぎ行くままに」――「ゆく河の流れは絶えずして」的ないかにも日本人好みの時間的無常感に変化した、ナイスな誤訳になっていると哲学の先生はおっしゃってましたね。 以上、ひと口メモでした。