投稿

2018の投稿を表示しています

魔境

そして小栗虫太郎の連作短篇『人外魔境』(河出文庫)も読み終わりました。 いい! 実にいい! 虫太郎の小説では、本書が一番取っつきやすいのではないでしょうか。 文章がこなれています。 そして文体を飾る奇怪で華麗なるルビの数々! 虫太郎一流の衒学は、本書でも如何なく発揮されています。 全十三話からなる本書は、三話目から「折竹孫七」という畸獣収集家にして国際的密偵を主人公にしております。 折竹を途中から主人公に据えたのは、やはりシリーズを通してメインキャラが確立していた方が、物語を進めやすい、と虫太郎は感じたのでしょうか。 この折竹が世界の秘境(テラ・インコグニタ)を冒険するのですが、その魔境の描写たるや、「虫太郎、見てきたような嘘をつき」と微笑みたくなる素晴らしい出来栄えです。 (もう『黒死館』を読んだ時のように初心ではないので、虫太郎の開陳する衒学がすべて真実だとは思わない境地に達してしまいました・笑) 物語ひとつひとつもコンパクトに纏まっていて、実に読みやすいです。 読者によっては、「尻切れ蜻蛉で物足りない」」「長篇にしてほしい」と思う方もいるかも。 でも、読んでいて「虫太郎疲れ」は感じないので、一話がこれくらいのボリュームが適切だと思います。 「小栗虫太郎を読んでみたいなあ」と思っている方には、まずは探偵小説よりも、こちらをお薦めしておきます。

悲惨

齋藤秀昭選『明治深刻悲惨小説集』(講談社文芸文庫)を読み終わっていました。 いやー、もうタイトル通り、貧窮の人生の闇黒、悲惨のオンパレード! これでもか、これでもかと、つらい物語が続きます。 就中、よかったのは川上眉山『大さかずき』、前田曙山『蝗うり』、広津柳浪『亀さん』、小栗風葉『寝白粉』、樋口一葉『にごりえ』あたりでしょうか。 特に一葉は恥ずかしながら初読だったのですが、深い感銘を受けました。 悲惨続きで多少飽きてきた本書の最後をぴりりと〆てくれます。 ただ悲惨なだけじゃない、悲惨さの中にも、しっとりとした情感があります。 さすが天才! と唸らされる出来でした。 それともうひとつ驚きだったのは、『寝白粉』と徳田秋声の『藪こうじ』に見られる、被差別部落のテーマ。 部落差別を扱った小説と言えば、藤村の『破戒』が有名ですが、それでけだなく、社会の暗部を抉った悲惨小説群にも、ちゃんとこの部落問題が扱われていたのだな、と。 「新平民」と呼ばれ依然として(今もなお)続く差別を、これらの作家が取り上げて、糾弾していた明治という時代の文士に喝采を送りたくなります。 本書は特にお薦めです。ちょっと高いですが、是非手に取って明治の暗部をその目にしてください。

心中

楠田匡介『いつ殺される』(河出文庫)も読み終わりました。 光文社文庫の『ミステリーレガシー』収録の『模型人形殺人事件』で彼を知り、このブログでも「もし他の作品が復刊されたら読んでみたい」と言ってたら、出ちゃいましたよ、河出さんから! 心中事件からの幽霊騒ぎが汚職事件へと繫がっていく、なかなか凝った作品です。 中盤までは作家の津野田と石毛警部、それに津野田の妻・悦子の小気味よい会話文主体なので、古さを感じさせずにすいすいと読み進められます。 で、いざ謎解きとなると、楠田匡介の悪い癖と言いましょうか、個性と言いましょうか、ゴタゴタしていてトリックの妙が読者に伝わりにくいきらいがあります。 (作者自身もあとがきで、トリックを盛り込み過ぎて、「少しゴタつき過ぎた感じである」と書いているから、自覚はあるんでしょうね) しかし、六百枚以上の力作ながら、ストレスなく読ませる腕は確かなものです。 是非、楠田の初期短篇集も読んでみたいので、河出文庫さん、何卒よろしくお願いいたします。

嗜虐

谷崎潤一郎『潤一郎ラビリンスⅠ 初期短編集』(中公文庫)を読みました。 いやあ、明治末期に既にこれだけの変態小説(褒め言葉です)が文学として受け容れられていた、というのはひとつの驚きでした。 とにかく登場人物は、すこぶるつきの変態揃いです。 収録作中、『少年』もいいですが、やっぱり第一等に気持ち悪いのは、『悪魔』の主人公ですね。 見染めた従妹の洟がついたハンカチを、○○しちゃうんだから! あと、ウィキペディアとかで谷崎の履歴を見ていないので、よく知りませんが、彼はパニック症だったのでしょうか。 『悪魔』や『恐怖』の主人公は、鉄道に乗ると頭に血が上って、脳出血を起こすんじゃないかという恐怖ですぐに駅で降りてしまう、という病状です(Eisenbahnkrankheit 鉄道病、と書かれていますが)。 そこも興味深かったな。 この『潤一郎ラビリンス』シリーズは犯罪小説集、怪奇幻想倶楽部、分身物語といくつか読んでいましたが、Ⅰ巻の変態衝撃をもろに喰らったせいで、揃えることにしました。 谷崎の嗜虐と官能の世界をこれから存分に読めるというのは、楽しみなことです。

飄々

五社英雄監督、安藤昇主演の『暴力街』を観ました。 安藤昇演ずる元やくざが、心ならずもやくざの抗争に巻き込まれていく、という筋立てです。 相手役の小林旭もいいですが、菅原文太がいいですねえ。 飄々とした闇世界の武器商人(?)を演じています。 ヘッドフォンでアグネス・チャンを聴きながら、モグモグとサンドウィッチなど頬張る姿がかっこいい! 出てくる時間は短いですが、強烈な印象を残します。 小林旭は、安藤昇を追い詰めてから、安藤に持ちかける賭けに男の心意気を感じますね。 そしてラストは、企業へと変貌を遂げるやくざ社会からあぶれた男の悲哀が滲み出ています。 なかなかの秀作です。 興味があればどうぞ。

虚構

原一男監督の映画『全身小説家』を観ました。 この作品はかなり前に日本映画専門チャンネルで観て衝撃を受け、DVDがようやく数年前に再販されてすぐ購入するも、なかなか観る気力が起きず、放ってあったものです。 筋書きはというと、小説家・井上光晴の癌に冒された晩年を追ったドキュメンタリー。 前半は、井上が主宰する「文学伝習所」の門下生のオバサマ、オバアサマ方の井上ラブなメロメロぶりに軽い不快を覚えつつ進んでいきますが、俄然映画が動き出すのは中盤。 関係者への聴き取りから、井上の履歴が虚構であったことがひとつひとつ解き明かされていきます。 これはもう探偵小説を読んでいるかのような戦慄と昂奮です。 そこで翻って、伝習所門下生の心酔ぶりを考えると、それは手練れの詐欺師一歩手前ともいえる、井上の語る言葉の虚実綯い交ぜの魅力も相まっていたのでは、と思わされます。 まあ元々小説家なんて、昔々どこかにほら吹きのうまい人間がいて、王様か何かに「そちの話は面白いのう。ひとつ書にしたためよ」とか言われて書いたのが起源かもしれませんしねえ。 そういう意味では、埴谷雄高御大(映画の要所要所でいい味出しておられます)が言うように、井上は「天才的小説家」であったわけです。 「人生中のA点とB点とC点の三つの事実を選んでみました。それがフィクションです。何故ならそこに選ばれなかったRという事実やXという事実を伏せているからです。事実を選ぶ、ということがフィクションの第一歩なんです」的なことを作中で井上は語っています(カーが『歴史とは何か』で書いていたと思うんですが「客観的歴史事実というものは存在しない。事実を取捨選択する過程で、すでに主観が働いているからだ。故に歴史はすべて、各々の歴史家による主観的歴史があるだけだ(大意)」という言葉を思い出しました)。 井上は人生中の語りたくない様々なつらい事実を直視しないために、いや、反対に、語りたくなるくらいにドラマティックにするために(?)、事実を改変していったのでしょう。 ここに、「天才」である井上の「小説家的悲しみ」が見え隠れしてきます。 終盤で「小説鬼」井上光晴と、プロポリスを勧める見るからにインチキそうな医者が対峙しますが、完全に井上の貫録勝ちなのに笑ってしまいます。 (インチキ医者を見る、井上と寂聴ママの困惑した

真実

日影丈吉『内部の真実』(東京創元)を読み終わりました! いやー、最高でしたよ。 さすが日影丈吉! 単純と思われた軍人の決闘事件が、目眩く謎が謎を呼ぶ展開となっていきます。 謎は単純かつ複雑、複雑かつ単純といった趣で、日影丈吉の手腕に魅了されること請け合いです。 読者によっては、「アンフェアだ」とか「そんな結末?」と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は物語世界にどっぷり浸かって、最後まで読み終えた時には、「久々にすごい小説を読んだな!」と興奮しました。 日影丈吉は、「推理小説のニオイのない普通の小説で、推理小説というものが書きたい」と言ってたそうなんですが、まさにこれですよ! 私もそんな作品を書いてみたい! と久方ぶりに触発されました。 是非是非オススメの一冊です。

夢想

新年に入って、『芥川追想』(岩波文庫)、小酒井不木『疑問の黒枠』(河出文庫)、浜尾四郎『鉄鎖殺人事件』(河出文庫)、ルソー『孤独な散歩者の夢想』(岩波文庫)を読み終わりました。 前三作の感想は簡単に。 『芥川追想』:芥川も痔疾で苦しんでいたとは。尾籠な話だが、そこに共感。収録中、「敗戦教官芥川竜之介」が一番興味深く読めた。大正時代はいい時代だったんだなあ。 『疑問の黒枠』:不木はやっぱり短篇がいいと思う。この長篇はあまり……。 『鉄鎖殺人事件』:恋愛に狂ったワトソン役の行動に苛々。でも無機質な印象を受けた『殺人鬼』よりは面白く読めた。でもでも、浜尾四郎の最高傑作は、何といっても短篇『不幸な人々』ですよ! で、ルソーの『孤独な~』なんですが……「深い感銘を与える書」みたいなことが表紙に書いてありますが……どこが? という感じ。 まあ、これを読むきっかけは、『臨床精神医学』誌の「パラノイア特集」で取り上げられていたことで、興味を持って読んだのですね。 晩年のルソーはパラノイアだった、という論文があったのです。 それで、同じパラノイア心性を持つ者として、読まなきゃなるまい、と。 パラノイアの随筆といえば、大著『シュレーバー回想録』をまず思い出しますが、あれほど直接的・壮大な妄想城郭を築いているわけではありません。 しかし、そこここに迫害妄想・追跡妄想がほんのりと漂い、「ああ、これはイッちゃってるわ」と読んでいて満足しました。 妄想に対する対処として(ルソー自身は、勿論、現実の脅威と思っていたわけですが)、諦観、無関心、自尊心をなくすことを挙げていて、それは大いに参考になりました。 (パラノイアが自身を嘲笑われているなどと感じるのは、自尊心の過度な肥大だと私自身も感じますからね) 読んでいて、不快な念に囚われたのは、生まれた子供をことごとく孤児院に送ったことを正当化している件です。 それと、人生で満足だった瞬間として挙げられている多くが、知らない子供や廃兵に施しをしたとか菓子を買ってあげたとかいう挿話な点。 偽善というか、自己満足というか、自己欺瞞というか、「本当にひどい奴だな!」と。 まあ、人格の清廉さと業績はイコールではないのは充分承知していますが……それでもねえ。 妄想対処策以外で、この本に共感・感動した方の意見が聴い