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改竄

今年の八月に出た、岡本綺堂の光文社文庫版『狐武者』の中の『うす雪』を読んでいるんですが、綺堂的に言えば「むむ」となったわけで。 それは、やたらと「気がおかしい」という日本語的に微妙な表現が出てくること。 何だかおかしいなあと思いながら、電車の中で読み進めていたんですが、帰宅して作品社から数年前に出た『岡本綺堂探偵小説全集』の下巻にあたってみたら……やはりテキストが改竄されていました。 作品社版の『うす雪』には、ちゃんと「気狂い」と書いてある。 しかも、眉を顰めたのは、テキスト改竄について、光文社文庫版の巻末に何の断りもないこと。 こりゃあちょっといけませんや。 去年の十一月に出た、綺堂の光文社文庫版『女魔術師』には、ちゃんと「作品の時代背景に鑑み――」的な一文とともに、底本通りとした、と書いてあるのに。 どうして『狐武者』では姿勢を転換しちゃったんでしょう。 私は差別を助長するようなことは勿論言いません。 ですが文学作品は、たとえ眉を顰めるような表現が出てきたとしても、それが出版された当時のままで読みたいだけなんです。 はあー、がっかり。

麻薬

映画『シド・アンド・ナンシー』を観ました。 公開当時、今は亡き『POP GEAR』誌のコラムで酷評されていた記憶があるんですが、観てみると意外に面白かった。 シド・ヴィシャスをゲイリー・オールドマンが務めていて、最初は「似てねー、もっと目元が涼し気な役者はおらんかったんかい!」 などと思いつつも、映画というのは不思議なもので、観ていくうちにシドにしか見えなくなった笑 似てる似てないで言うと、ポールとスティーブはそっくりかもしれない。ジョニー・ロットンは似てない。 で、ナンシー・スパンゲンは……昔『D.O.A.』というパンクのドキュメンタリーでそのお姿を拝見しただけですが、この映画のナンシーはただのババアにしか見えません(失礼)。 本人はもうちょい見栄えが良かったような。 でもでも、ナンシー役のクロエ・ウェブは熱演してますよ! 「もうこのクサレ売女のせいでシドは死んだんじゃい!」と恨み言のひとつも画面に向かって言いたくなるほどのド腐れぶりを発揮しております。 まあナンシーのせいで破滅しなかったら、シドは永遠のアンチ・ヒーローにはなれなかったわけで、そこはお互い持ちつ持たれつというわけです。 日本版DVDのクレジットには、「音楽:ジョー・ストラマー」と書いてあったんで、「おっ!」と期待してみたんですが、拍子抜け……と書こうとして、IMDBを見たら、ジョーのジョの字も書いてないですね。あれ? てか、GNRのスラッシュがパンクス役で出てたんや。気づかなった。 意外な掘り出し物映画でした!

理系

東京創元から海野十三がドドッと復刊されたので、まず第一集の『獏鸚』を読み終わりました。 帆村荘六物の初期の作品は、ちょっと現代の目からすると厳しい感じですが、アンソロジーとかによく取られている『俘囚』や『人間灰』は、やはり面白いなあ。 ただ、海野十三の癖なのか、「だネ」とか「ですネ」みたいに文末の「ネ」多用が古臭さを醸し出している気はします。 あと、ネーミングのセンスが面白い。 町田狂太(普通、人の名前に狂とかつけないでしょ笑)、白丘ダリアとか。 文末の「ネ」とも関連しますが、『点眼器殺人事件』で仮名をつけた時の「チェリーとナ」には、何故か笑ってしまいました。 さてさて、次は『蠅男』の前に、ちくま文庫の芥川全集最終巻を読まねば。

黒鳥

『ブラックスワン』観ました。 幻覚妄想の描写は、ややB級ホラーめいているものの、全体的には楽しめました。 イカれ気味の支配的な母親との葛藤という点は、『キャリー』にも通ずるかな、と。 でも、ラストまで観終わって思ったのは、「狂気に陥った挙げ句とはいえ、素晴らしい踊りができたんだし、犯罪もおかしていないし、これってハッピーエンドの映画じゃね?」ってことでした。 イカれ気味なのに才能がないために何もなせず、消え去っていった自分に引き比べると、充分ハッピーな最期だったんじゃないかなあ。 皆さんは、どう思います?

怪談

河出文庫『見た人の怪談集』読了。 ほとんどは既読の作品ばかりでしたが、読むと片っ端から筋を忘れる性質なので、新たに楽しめました。 中でもよかったのは、これは未読だと思う、田中貢太郎の『竈の中の顔』! いやー、これは怖いですよ。 竈の中からひょいと出る顔が何なのかがわからないのが怖い。 そして、佐藤春夫の『化物屋敷』には、弟子とわいわい共同生活をする楽しさも伝わってきて、怪談なのにやっぱりおかしみを感じてしまいます。 で、トリは、待ってました! 角田喜久雄の『沼垂の女』! 大好きな作品です。 これをトリに選んだ選者さん、わかってるなあ。 戦後の混乱と共に希望も見える上野駅と列車の風景にニンマリしていると、沼垂に着いてから突如話は暗転、人間の業をひしひしと感じさせる展開は、肌に粟を生じさせます。 このアンソロジーの問題作は、やはり平山蘆江の『大島怪談』でしょうか。 解説者が指摘している通り、途中から人数が増えている……。 単に作者が間違えたのか、狙ってやっているのかわからないところが怖い。 なかなか楽しめるアンソロジーでした。