美味

普段からなんでもおいしく食べる倉野です。
好き嫌いは、ほぼありません。
そんなわけで、高級なレストランなどに行って、今まで食べたことのない味に出会っても、やっぱり「おいしい!」と思ってしまいます。
しかし、改めて「おいしいもので何を食べたい?」と問われると、悩んだ末に出てくる料理は「エイの煮付け、サメの湯引き、おばいけ、ナマコの酢の物……」系のものなんです。

「エイやサメ?」と思った方――私の故郷福岡は玄界灘に面しているので、いろいろな魚介類が手に入るんですが、私の小さい頃は新鮮で臭みのないエイやサメが手に入りました。
それでよく食卓に上っていたんです。

子供の頃からそれらを食べ慣れていたわけですが、正直子供の舌には煮付けや湯引きなどはまずくはないですが、そんなに美味とは思われませんでした。
まあ、大人の味ですね。
しかし、この年になってみると、妙にその味が懐かしく、かつとても美味であったように思われるのです。

一方、私の父は、子供の頃に食べた黄色いもったりしたカレーが食べたいと言います。
そして母が似たようなカレーを作っても、「こんな味じゃなかった。もっとおいしかった」と。
父が子供の頃に食べたカレーも、恐らく実際はうまいものではなかったと思います。
しかし、懐かしさを伴う味が凝縮されると、それが究極の美味に昇華・夢想化されるようなんです。

私のエイ、サメ、おばいけなどもそうです。
おいしいかどうかにかかわらず、子供の頃に慣れ親しんだ味が、懐古フィルターを通されて美味になったんでしょう。
美味の根底は懐かしさにあり、ということを再認識したしだいです。

そして私は今日も思うのです。
「ああ、エイの煮付け食べたい……」

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