絵画

絵画については何もわからない倉野です。
表紙の装丁などを決める時も、画家の方が描いたラフなデザインを見て、「ほー」「へー」などと言うばかりで、有意味なことを言った記憶がありません。
それくらい、絵画には疎いです。
しかし、自分の育った記憶を辿ると、その理由もわかる気がします。

私は幼い頃から、絵を描くのが好きな子供でした。
私の幼い頃のアルバムには、私が描いた種々雑多な絵が挟まれています。
今になってそれを見ても、思わず頬が綻ぶ感じの、稚拙ですが無邪気な絵が並んでいます。
そう、私は絵を描くのが好きだったのです。

では、何故絵画に一向興味がない大人になったのか。
それは、私が小学校一年の時に遡ります。
小学校に入学した私は、絵が好きなものですから、きっと得意になって絵を描いていたと思われますが、担任のF先生がそれを見て「絵に描かれた人物が、ロボットみたいで気持ち悪い」と言ったのです。
その時幼かった私でも、今になってもはっきり思い出されるほど、その言葉は衝撃的でした。
「ロボットみたいで気持ち悪い」……。

自分の絵、ひいては自分の人格が全否定されたと思った私は、それ以来絵を描くのが大嫌いになりました。
幼い私でさえ、そうはっきりと認識できたのです。
小学六年になった時の担任が理解のある人で、「おまえが絵がうまい。だからどんどん描け」と言ってくれて、私の風景画をコンクールに送ってくれたりして、その時だけはやる気は起きましたが、「気持ち悪い」と言われた傷を埋めることはできず、今に至ります。
私が絵を描くのが嫌いです。

私は教育者に言いたい。
子供の個性、可能性を伸ばすのが教育者だぞ、と。
芽を摘むのなんて、誰にでもできる。
他人が摘みそうになった弱い芽でさえも、これは確かだと思ったら、それを守って伸ばしてやるのが教育者ではないか、と。
「ロボットみたいで気持ち悪い」なんて、一個人の主観的な印象でしかありません。
それを乗り越えて、「変な絵だけど、こいつが好きなのだから、どんどん描かせるべきだ」と何故F先生はならなかったのでしょう?

私は、ここに日本の教育の問題点が現れているようでなりません。
その子供が好きなことを伸ばす――私みたいに、好きな分野を嫌いになる子供がこれ以上現れないことを祈ります。

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