播摩

文学でも音楽でも、全体としてはいまひとつ心に響かなくとも、「この部分だけは百点満点!」といった箇所を持つ作品があります。
私にとって『暗夜行路』がそんな作品のひとつです。

筋は大抵の方が知っているでしょうから省きますが、割と最初のところで出てくる夢の話が抜群にいいのです。
主人公が寝ているところへ、知人が妙な笑顔で入ってきます。
そして阪口という男が旅先で死んだことを告げるのです――「播摩をやったんだそうだ。――到頭やったネ」と。
主人公は「矢張りそうか」と思い、播摩というのはよくわからないけれども、命がけの危険な方法で、阪口がそれを大阪で教わったということは知っているのです。
阪口というのは淫蕩のためにはあらゆる刺戟を求める男だったが、播摩まで堕ちたかと思うと主人公はぞっとします。
「播摩と云うのはどうするのだ」と主人公は訊きかけますが、聴いたら屹度自分もやる、と思い、さらに慄然とするのです。

……ここまで読んで、私は(あるいは大抵の読者は)「播摩って何だ―ッ!?」という凄まじい疑問に囚われるのです。
新潮文庫版の注解には、ただ「性交態位のひとつ」と素っ気なく書いてあるだけです。
この注解を読んでさらに、読者はめくるめく妄想の世界に没入することになります。
播摩――やったら死んでしまう体位、聴いてしまったら屹度やりたくなり、命を落とす――まるで強力な麻薬のようなものを想像し、どんな格好をするのかなんてさっぱり想像がつきませんが、とにかく禍々しいものだろうくらいは思いが至ります。
読者はもう播摩の虜になり、その言葉が頭にこびりついて離れなくなります……。

これが『暗夜行路』で「百点満点!」な部分です。
正直、粗筋はあまり憶えていなくとも、「播摩」の部分は憶えている方もいらっしゃるのでは。

ちなみに『暗夜行路』では、妻が走り始めた汽車を追いかけて乗ろうとしたところを、主人公が何を思ったかホームに突き飛ばす場面も、個人的には百点満点です。

全体としては楽しめなくとも、部分的には「さすが」と思わされるところがあるのは、やはり名作なんでしょう。

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