韻律

岩波文庫の鷗外作『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』を読了しました。
この中で、一番心に残ったのは、ズバリ『寒山拾得』です。

これは文末のリズムがいい。
「である」の連発なのである。
特に最初のほうの「閭が果たして台州の主簿であったとすると日本の府県知事位の官吏である。そうして見ると、唐書の列伝に出ているはずだというのである。しかし閭がいなくては話が成り立たぬから、ともかくもいたことにしておくのである。」というところなんて、生き生きとしたリズムの中にとぼけた味があって、「鷗外やはりただ者ではない」と思わされたのである。

話自体もとぼけた味があっていいのですが、これは鷗外が娘さんに物語った話をそのまま直接小説にしたそうで、その語り口調が「である」の連発に反映したのではないかと思うのである。

『雁』の時にも触れましたが、鷗外の作品に時に出てくる「とぼけ味」にもっと目が向いてはいいのではないか、と私は愚考する次第である。
次は乱歩の『黒蜥蜴』を再読するつもりである。

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