嘔吐

といっても、サルトルではありません。
唐突ですが、私は嘔吐恐怖です(今はだいぶん軽快していますが)。
自分が吐くのも厭だし、人が吐いているのも厭!
ノロウイルスの季節なんて、怖い怖い。

で、先週乱歩の『黒蜥蜴』を読んでいて思ったんですが、自分の嘔吐恐怖の原因は、この作品にあったのではないかと。

中盤辺りで、黒蜥蜴が大阪の宝石商の娘を誘拐するために、新品のソファに反吐のようなものをぶちまけておく作戦を取る場面があります。
ポプラ社版の子供向け『黒蜥蜴』にもこの場面が出てきて、子供心に「おえっ」と思いながらも、何度もその場面を読んだことを思い出しました。

そう、自分は嘔吐恐怖ですが、人がもどしたものが駅なんかにあると、ついつい目が惹きつけられてしまうんです。
それは何か根源的な欲動が働いているかのような、異常な注意の向き方なんです。
これは、子供時代に『黒蜥蜴』を読んで、「気持ち悪いな」と思いつつ、貪り読んでしまった経験が根底にあるのではないでしょうか。

厭だけど反吐を見てしまう心理をさらに考えていくと、自分は口唇的な欲動に取り憑かれた人間ではないかと思い至りました。
本当は反吐が咽喉を通る苦しみを伴った快感に酔い痴れたいのだが、それは自我や超自我が許さず、嘔吐という口唇的欲動は抑圧されてしまった。
そして、反動形成として、嘔吐恐怖という症状ができあがったのではないか、と。
しかし、欲動は自我の検閲をすり抜けて、妥協的な形で「厭だが見てしまう」行動として現れたのではないでしょうか。

そういえば、拙著にも嘔吐の場面が必ず出てきます。
口唇的欲動、恐るべし。
そして人間の人格形成にも深い影響をおよぼす乱歩小説、恐るべし。

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