残夢

私は一時期、内田百閒を読まねば夜も日も明けないという時期がありました。
最近こそ、その衝動は薄まっていますが、一昨年あたりはどっぷりと百閒の世界に浸っていました。
ちくま文庫の『内田百閒集成』は勿論全巻集め、それだけでは欠落している作品が多いと知り、他の出版社から出ている百閒の本を買い漁りました。
普段は評論などいっこうに読まない私ですが、ユリイカの「内田百閒特集」も手に入れて、読みました。

師匠である漱石の『夢十夜』の系譜を継ぎ、夢と現実のあわいを文学化することで一躍文名を上げた百閒ですが、私もそういう作品が書きたくて、夢から得たインスピレーションを書きとめていた時期がありました。

しかし、自分が見た夢をその骨格を保ちながら作品化しようとしても、どうもうまくいかない。
単純に言えば、つまらない。
詩人の川田絢音さんは、見たままの夢を詩にしたような作品を多く書いていらっしゃいますが、その境地に至るのはなかなか難しいと知りました。

ただ、自分の見た悪夢がどういうパターンかというのは、書きとめているうちに分析できたようです。
ある悪夢を見ていて、やっと夢から醒めた、と思ったら、まだ夢が続いていて、不可思議な事件が続々起こる、というパターンです。
このパターンの悪夢は、先週も見ました。
あれ? このパターンって、自分の作品にも知らず知らず反映されていたのでは――? と思わされました。

実は二年くらい前に見た悪夢のひとつから、怪奇短篇をひとつ書いてみようかと思ったものがあります。
それは割と骨格がしっかりした悪夢で、小説化するのに苦労がいらない感じですが、果たして面白くなるんだろうかと躊躇し、まだ書いていません。
加えて、最近見た悪夢からインスピレーションを得て、探偵小説化しようと準備しているものもあります。

今年は新作の最終的な改稿と、南雲堂さんの『本格ミステリーワールド2013』のコラム以外(今年も性懲りもなく書いてます)、物書きらしい仕事をしなかったので、今年残りの二ヶ月でひとつがんばってみようかと思っているしだいです。
発表するあてはありませんがね。

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