祖父

私のペンネームは本名そのままです。
よく「ペンネームっぽい本名だね」と言われます。
下の名前は父方の祖父が、色々と考えてつけてくれたのですが、今回はその祖父の話を。

父方の祖父・憲司は、国文学者でした。
古事記研究に一生を捧げた人で、大学を退官後もそうとう老齢になって弱るまで、自宅で仕事を続けていました。
この祖父は、国文学者を志す前には、小説家になりたいと思っていたそうなんです。
しかし、同級生に大変小説のうまい男がおり、彼の小説を読んで「これでは自分はかなわない」と見切りをつけ、上代古典文学の道を志すことになったんだとか。
私が物書きになったのも、そういった遺伝子が多少は関係しているのかも。

祖父の思い出というと、薄暗い北向きの書斎で、背をこちらに向けてひたすら書き物をしていた姿が思い浮かびます。
北向きの窓以外、三方が天井まで書架になっていて、和綴じの本やら専門書やらが、隙間なくびっしりと詰まっていました。
書斎は半分は板敷きで低くなっていて、もう半分は高くなっている畳敷きで、そこに座卓を据え、冬場には右に手あぶりを置き、いつも祖父は勉強していました。
幼い私が顔を出すと、火鉢で餅を焼いてくれたような淡い思い出があります。

そして、散歩が趣味だった祖父は、勉強の合間に、ステッキを振り振りぼくを連れて散歩に出かけていました。
道で知り合いに会うと、「これは僕のペットなんだよ」と嬉しそうに私を指差していたのを憶えています。

明治男の常で、家庭人としてはとても及第点をあげられない人だったようですが、仕事人としては一級だったようです。

私が長じてくると、祖父が日記の一人称を「予」と書くのを何となくおかしく思ったのですが、後に明治の文豪の随筆や日記を読むと、大抵「予」や「余」と書いているのを見て、「時代だったんだなあ」と明治から遠く隔たった自分には何だか羨ましい気がしました。

ちなみに「憲比古」の「憲」は祖父から一字取り、詩経によると文武の手本と仰がれるの意だそうです。
「比古」は古事記の男の神様の名から。
どちらも名前負けしてますね……。

母方の祖父も極めて個性派の人物だったので、そのうち紹介しようと思います。

コメント

  1. ブログ、やっと見つけました。
    読者が一番読みたいのは自作についての記事だと思うので、書いてみてはどうでしょ?
    4作目期待しています!!!!!!

    返信削除
    返信
    1. kenta yamadaさん
      コメントありがとうございます。
      自作についてですか……特に語るようなネタを持ってないのでアレですが、何か思いついたら書きます。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

播摩

再開

悲惨