運命

おはようございます、野球大好きの倉野です。
こんな素晴らしい野球人がいたと紹介する(?)、今回の記事は長いですよ~。

ちなみに、私の昔から贔屓の球団は、日本ハムファイターズ。
「え、福岡出身なのに、ホークスを応援しないの?」と疑念を抱く向きもありましょう。
ホークスが福岡移転する前よりファイターズファンの私からしたら、ホークスは単なるライバル球団の位置づけに過ぎないのです。いや、過ぎなかったのです……。

というのは、事は私の大学時代に起こりました。
新聞の大学野球の記事を読んでいたら、青山学院に倉野信次といういい投手がいる、と出ていました。
ここでもう「え?」ですよ。
倉野姓ってなかなかいないんですよね。私は立教で、彼は青学――大学こそ違えど親近感が湧きました。
しかも調べると、自分と同い年、同じ身長、同じ血液型、しかも倉野投手は宇治山田高校(進学校らしい)の出身。我が倉野家も、祖父の憲司の時代には、宇治山田に住んでおったことがありました。

ここまできて、これを単なる偶然の一致と捨てされるものでしょうか?
否!
しかもしかも、倉野投手はドラフト4位指名でホークスに入るという! ――我が故郷の球団へ。
これはもう、運命的な邂逅と言ってしまっていいでしょう!
こうして私は一時的にファイターズを放り出し、倉野信次フリークとして、ホークスファンになったのです。

倉野投手は入団一年目にジュニアオールスターでMVPを獲り、二年目のペナントレース前半戦ではもう一軍の中継ぎでガンガン投げてました。
中継ぎも先発もできる使い勝手の良い選手なので、五年目には先発、中継ぎ、抑えと大車輪の活躍で、7勝4敗1Sの好成績をあげます。
しかし! 彼の野球人生の頂点は、間違いなく2004年でしょう。

2004年――寺原投手が無事に投げていれば、倉野投手が二軍に落とされることになっていた、開幕直後の西武戦。
寺原が序盤から乱れ、すぐにロングリリーフのできる倉野投手にスイッチ。(確か一死満塁かなんかの大ピンチで回ってきたはず)。
そのピンチをものともせずに後続を打ち取ると、ロングリリーフの適性を首脳陣に遺憾なく見せつけます。
こうして倉野投手の二軍落ちはなくなり(代わりに二軍落ちしたのは寺原投手だった……)、この年はずっと一軍で働きました。

途中、中継ぎで疲れが見え始めると、シーズン中盤でローテ谷間の先発に転向。
シーズン初先発試合の5回表、ツーアウト。あと一人で勝利投手の権利というところで、倉野投手の足が攣ってしまいます。
マウンドに駆け寄る当時の監督・王さん。
しかし、倉野投手は「あと一人だけ投げさせてください」と直訴し、何とか立ち上がると、次の打者を一球で仕留め、勝ち投手の権利を得たのです。う~ん、ドラマのような展開!

そこからは破竹の勢いで先発9連勝を飾り、シーズン終盤には「倉野が投げるとホークスは負けない」というジンクスも生まれ、ホークス投手陣の中でも頼もしい存在となっていました。(以下次項で)

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