囲物

鷗外の『雁』を読了した倉野です。

岩波文庫のこの作品の扉には、「生まれてすぐに母を亡くし、貧困の中で父親に育てられたお玉は、高利貸末造の妾となり、上野不忍池にほど近い無縁坂にひっそりと住んでいる。やがて、散歩の道すがら家の前を通る医学生岡田と会釈を交すようになり……。鷗外の哀感溢れる中篇。」とあるんですが、惹句とは異なった感想を持ってしまいました。
惹句を書店で見た時は、「ああ、メロドラマなのね」と簡単に片づけてたんですが。

まず、医学生岡田はあまり登場しません。
物語の展開は、妾を囲う檀那である末造と、妾のお玉、それに末造の本妻のお常にそれぞれ視点が切り替わりながら進んでいきます。
その過程で、哀感というよりも、妾を秘密裡に囲う末造の気苦労、夫に妾がいるとわかった本妻の気苦労などがどこかとぼけた調子で描かれ、すこぶる面白いです。
そこに失われた古い東京の情景や店屋の叙述がからみ、何ともいい雰囲気を醸し出しています。

物語が三分の二ほど進んだところで、お玉の横着さ(あえて「横着」と言っておきます)が増し、岡田への恋が積極性を増すんですが、報われようはずもなく結末を迎えます。
ううん、この辺りの展開が、お玉の自我の萌芽というよりも、妾の境遇に安住しながらないものねだりをする、お玉の横着さとどうしても読めてしまう私は、感覚的におかしいのかな。

末造やお常の視点をさらに増やし、お玉の恋なんてどうでもよいから、妾をめぐる夫婦のとぼけた痴話喧嘩をもっと読みたかった、というのが正直な感想です。

しかし、私も女を囲って、本妻に「この妾狂い!」とキーッとされてみたいです。
あ、まず本妻がいないか……。

私の母方の先祖と鷗外とは浅からぬ因縁があるのですが、それはまたいつか。
次は『ポオ小説全集』の第2巻を読みます。

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