赤児

今、志賀直哉の『和解』を読んでいる倉野です。

読み進むうちに、むむ、これって赤ちゃんが急死する話なんですね。
こういう「乳幼児死んじゃう系」の小説って、すごく苦手なんですよ。

鷗外の『金毘羅』もそうだし、漱石の『彼岸過迄』もそう。
深く心には残るんですが、なんというか、動揺してしまって読んでいられない気持ちになる。

『金毘羅』で、主人公が瀕死の娘のところに顔を見せると、娘は苦しいはずなのに微笑反射するところや、『彼岸過迄』で宵子が倒れる前にリボンのことを「イボンイボン」といって遊んでいるところなんて、胸苦しくなります。

私は結婚もしてないので当然子供もいなくて、幸いこういう経験はしたことがないし、家族親戚にもこんな事件は起こったことはないですが、どうしてなんでしょうね。

私はそんなに感傷的な人間じゃないので、単純に小説の登場人物の死を悲しがっているわけではないし……。
それに、大人が小説中で死んでも、こんな気分にはなりません。

自分で小説を書く時も、乳幼児だけは死なせないようにしています。
どう書いていいのかわからなくなると思うので。

乳幼児が死ぬということに対して、何故こんなに名状しがたい気分になるのか……?
何かその裏に私の外傷的な体験が隠されているのではないかと、自己分析したくなりますが、面倒臭くなったので寝ます。

おやすみなさーい。



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